「君臨すれども統治せず」というのは英国の国王(女王)のことだが、戦後日本にも当てはまる。大日本帝国憲法において天皇陛下は拒否権を持たない立憲君主であられたが、政治に対して発言力も影響力も持っていた。
陸軍が(あるいは海軍もかもしれないが)口先だけではなく本心から「天皇陛下絶対」であれば、昭和天皇は対米戦に反対であったから、大東亜戦争を止められたはずで大日本帝国が破滅することはなかった。残念である。
私の考えとしては天皇陛下にドイツ、イタリアの首相が最高権力者である共和国の大統領の権限を付与すべきと考えている。
天皇陛下を実権のない世襲大統領的存在に - 面白く、そして下らない
米国の大統領は任期のある独裁者と言われるほど強い権限を持つ。しかし憲法、議会、裁判所の存在が米国大統領を強い指導者に留め、決して独裁者にしないのだ。報道機関や世論、州の存在もあるかもしれない。長い期間を掛けて大統領選挙をやることも米国大統領を独裁者にしない知恵だ。必ず「傷」が有権者に見えて独裁者になれなくなる。クリントン元大統領の徴兵忌避などだ。
日本の首相は議会を掌握している分米国大統領より権限が強いとする分析もある。首相には任期がない。だから天皇陛下には首相が独裁者にならないよう歯止めになって戴きたいのだ。
前置きはここまでだ。
戦後日本の天皇陛下には政治的権能は一切ない。天皇陛下も自制する形で政治に意見を述べられることはなかった。
しかしである。天皇陛下は我が国の中心なのだ。日本人の心の拠り所なのである。日本教ないし天皇教の祭司なのだ。天皇陛下に政治的権能は一切ないが、その言動は日本と日本人に影響を与えずにいられない。その一挙手一投足が日本と日本人を大きく揺るがすのである。
だから上皇陛下が天皇陛下であられた頃、支那が天安門事件で国際社会から経済制裁を受けているなかでその経済制裁を解く切り札が天皇陛下の御訪問だった。
当時の首相は宮沢喜一だったから宮沢喜一の罪が一番重いし、官房長官だった河野洋平の責任も重い。自民党の保守派は天皇陛下の政治利用になると強硬に反対したのだ。今から考えれば天皇陛下を支那に御訪問させるべきではなかったからだ。
左翼どころか自民党でさえ認めないだろうが、天皇陛下の支那への御訪問で国際社会による経済制裁は解かれた。それにより支那が日本に感謝したか。支那が民主化したか。どちらでもない。支那共産党に率いられた反日独裁国家が日本の安全保障上最大の脅威となっているのである。経済も支那に抜かれて世界3位に落ちてしまった。これは政府の経済政策が誤りだからだが。
天皇陛下の支那御訪問こそ戦後日本の最大の失政であった。
天皇陛下に拒否権があったかどうかはわからない。どうしても行きたくないと拒否することはできたのではあるまいか。だがそれを上皇陛下に求めるのは難しいだろう。しかし上皇陛下は御訪問された支那で謝罪すべきではなかった。天皇陛下が支那に謝罪したことにより、日本の立場はなくなってしまったからだ。
韓国に謝罪してはいけない - 面白く、そして下らない
あるいは上皇陛下は善意から支那に謝罪されたのかもしれない。しかしそれは畏れ多いことながら外交というものを御理解されていなかったというしかない。
国家元首(憲法上明記されてはいないが)が謝罪することは罪を自白することなのだ。これにより日本は「戦犯国家」となった。それ以前から政治家の謝罪は相次いでいたが、平成になり戦争と植民地支配への謝罪は絶頂になった。
謝罪は外交上著しく不利益になるが、それだけではない。「戦犯国家」となった日本は国民が大混乱に陥った。GHQに散々洗脳されてきたが、天皇陛下が謝罪されるとは。アノミーだ。日本人は依るべき天皇陛下から「お前達は薄汚い犯罪者だ」と言われたに等しい。
日本人は「天皇陛下の赤子」なのだ。それなのに、である。
経済がおかしくなったのは橋本龍太郎の消費税増税と緊縮財政のせいだが、天皇陛下の「謝罪」がその前にあったかもしれない。
「自己責任」論の蔓延は日本人がばらばらになり自分さえ良ければ良いと考え出した結果ではあるまいか。
戦後天皇陛下に政治的権能は一切ない。しかし一挙手一投足が日本と日本人に与える影響はいささかも減じてはいないのだ。
天皇陛下が御譲位され、御代替わりされたことにより権威や信義が再構築されることを望みたい。
追記
(参考サイト)
陸軍が(あるいは海軍もかもしれないが)口先だけではなく本心から「天皇陛下絶対」であれば、昭和天皇は対米戦に反対であったから、大東亜戦争を止められたはずで大日本帝国が破滅することはなかった。残念である。
私の考えとしては天皇陛下にドイツ、イタリアの首相が最高権力者である共和国の大統領の権限を付与すべきと考えている。
天皇陛下を実権のない世襲大統領的存在に - 面白く、そして下らない
米国の大統領は任期のある独裁者と言われるほど強い権限を持つ。しかし憲法、議会、裁判所の存在が米国大統領を強い指導者に留め、決して独裁者にしないのだ。報道機関や世論、州の存在もあるかもしれない。長い期間を掛けて大統領選挙をやることも米国大統領を独裁者にしない知恵だ。必ず「傷」が有権者に見えて独裁者になれなくなる。クリントン元大統領の徴兵忌避などだ。
日本の首相は議会を掌握している分米国大統領より権限が強いとする分析もある。首相には任期がない。だから天皇陛下には首相が独裁者にならないよう歯止めになって戴きたいのだ。
前置きはここまでだ。
戦後日本の天皇陛下には政治的権能は一切ない。天皇陛下も自制する形で政治に意見を述べられることはなかった。
しかしである。天皇陛下は我が国の中心なのだ。日本人の心の拠り所なのである。日本教ないし天皇教の祭司なのだ。天皇陛下に政治的権能は一切ないが、その言動は日本と日本人に影響を与えずにいられない。その一挙手一投足が日本と日本人を大きく揺るがすのである。
だから上皇陛下が天皇陛下であられた頃、支那が天安門事件で国際社会から経済制裁を受けているなかでその経済制裁を解く切り札が天皇陛下の御訪問だった。
当時の首相は宮沢喜一だったから宮沢喜一の罪が一番重いし、官房長官だった河野洋平の責任も重い。自民党の保守派は天皇陛下の政治利用になると強硬に反対したのだ。今から考えれば天皇陛下を支那に御訪問させるべきではなかったからだ。
左翼どころか自民党でさえ認めないだろうが、天皇陛下の支那への御訪問で国際社会による経済制裁は解かれた。それにより支那が日本に感謝したか。支那が民主化したか。どちらでもない。支那共産党に率いられた反日独裁国家が日本の安全保障上最大の脅威となっているのである。経済も支那に抜かれて世界3位に落ちてしまった。これは政府の経済政策が誤りだからだが。
天皇陛下の支那御訪問こそ戦後日本の最大の失政であった。
天皇陛下に拒否権があったかどうかはわからない。どうしても行きたくないと拒否することはできたのではあるまいか。だがそれを上皇陛下に求めるのは難しいだろう。しかし上皇陛下は御訪問された支那で謝罪すべきではなかった。天皇陛下が支那に謝罪したことにより、日本の立場はなくなってしまったからだ。
韓国に謝罪してはいけない - 面白く、そして下らない
あるいは上皇陛下は善意から支那に謝罪されたのかもしれない。しかしそれは畏れ多いことながら外交というものを御理解されていなかったというしかない。
国家元首(憲法上明記されてはいないが)が謝罪することは罪を自白することなのだ。これにより日本は「戦犯国家」となった。それ以前から政治家の謝罪は相次いでいたが、平成になり戦争と植民地支配への謝罪は絶頂になった。
謝罪は外交上著しく不利益になるが、それだけではない。「戦犯国家」となった日本は国民が大混乱に陥った。GHQに散々洗脳されてきたが、天皇陛下が謝罪されるとは。アノミーだ。日本人は依るべき天皇陛下から「お前達は薄汚い犯罪者だ」と言われたに等しい。
日本人は「天皇陛下の赤子」なのだ。それなのに、である。
経済がおかしくなったのは橋本龍太郎の消費税増税と緊縮財政のせいだが、天皇陛下の「謝罪」がその前にあったかもしれない。
「自己責任」論の蔓延は日本人がばらばらになり自分さえ良ければ良いと考え出した結果ではあるまいか。
戦後天皇陛下に政治的権能は一切ない。しかし一挙手一投足が日本と日本人に与える影響はいささかも減じてはいないのだ。
天皇陛下が御譲位され、御代替わりされたことにより権威や信義が再構築されることを望みたい。
追記
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