今日は粕壁宿からスタートです。
駅前通の交差点からのんびり街道歩きを始めました。
歩き始めが14時過ぎと言うかなり遅めのスタートです。
交差点近くの丸八酒店です。
表は近代的なつくりですが、奥の建物は重厚なつくりの母屋と蔵があります。
酒屋さんは結構建物をしっかり保存していることが多いですね。
少し歩くと「永嶋庄兵衛商店」があります。
上手に建物を保存していて、旧街道を歩いている雰囲気になります。
まっすぐ進むと旧国道16号線の交差点になり、ここを右折します。
この前まで交差点の先は狭い道路だったのに、今はマンションとスポーツセンターが出来ています。
交差点手前の右には「はましま美術館」があります。
やっているのでしょうか?
重厚な蔵造りの建物が、ツタに飲み込まれそうになっています。
入り口を何とかして欲しかったなぁ、、、
古利根川を渡り、交差点を左折します。
暫く歩くと、「小渕の一里塚跡」の碑があります。
間もなく二叉になります。
左が日光道、右が関宿往還の追分です。
追分の道標にはしっかり「左日光道」と刻まれています。
「一里塚」「道標」が連続にあり、街道歩きをしているなぁと感じる瞬間です。
小渕交差点を過ぎ、少し歩くと右側に「小渕山観音院」があります。
別名こぶとり観音と言われ、いぼ・こぶ・あざに御利益があるそうです。
立派な山門を持っています。
「毛のいえば 唇さむし 秋の風」
芭蕉の句碑があります。
奥の細道を歩いているなぁ!
ここから先は歩道をひたすら歩きます。
何故かKmポストがないので、どの位歩いているのかがよくわかりません。
暫く歩くと「杉戸町」に入りました。
「すきすきすぎーと36」があります。
ここは北緯36度線上です。
地球儀のモニュメントがあり、36度線が入っています。
「ラスベガス」・「グランドキャニオン」・「ナッシュビル」・「ジブラルタル」・「地中海」・「テヘラン」・「カラコルム」等が北緯36度の仲間達です。
ここから旧道に入ります。
広い歩道から歩道もない、普通の道になりますが、車はほとんど走っていないののんびり歩けます。
少し歩くと「九品寺」の境内に「日光街道の道しるべ」があります。
この碑の向かい側の高野家は立場を営み、馬で荷を運ぶ人、駕籠をかつぐ人、旅人、馬などが休む場所になっていたそうです。
途中に街道の雰囲気がある建物があります。
国道が出来て裏道になってしまったところの方が雰囲気があっていいですね。
国道に戻って暫く歩くと日本橋から40kmのkmポストがありました。
幸手まであと9kmです。
40kmポストの手前にある「東洋管材」の柴田社長とばったり会ってしまい、立ち話で30分のロスです。(笑)
少し歩くと、国道から分かれて旧道に入り「杉戸宿」も間近です。
杉戸町役場を過ぎると「関口酒造」があります。
「杉戸宿」の造り酒屋です。
2階の雨戸が開いているといい雰囲気なんだけどなぁ。
「関口酒造」から少し歩くと「近津神社」があります。
平成13年不審火で社殿を焼失してしまい、しばらくそのままだったのですが、最近社殿を復興し、立派な神社になっています。
「扇屋」です。
実は、私の叔母の嫁ぎ先です。
雄ちゃん、結婚おめでとう。
来月の結婚式、楽しみにしていますよ。
「巴湯」です。
「粕壁宿」は銭湯が絶滅していましたが、「杉戸宿」はしっかり銭湯がありますね。(確か、駅前通にもあったはずです。)
駅前通の交差点のところには「明治天皇御小休所跡」があります。
本陣跡周辺は古い町並みがあります。
いつも車で通る道なんですが、歩きながら見る町並みはひと味違います。
大きく右に曲がる手前に道標があります。
左は久喜方面、右は幸手方面です。
曲がり角の建物です。
いいですねぇ!
何度も車に飛び込まれているのでしょうか、ガードレールがないともっといいのになぁ。
カーブを曲がってすぐ右には「宝性院」があります。
杉戸の寺子屋があった場所で明治の学制で学校になった時期があります。
今でも海外からの子供達を受け入れている話を若住職の奥様に聞いたことがあります。
「宝性院」には私の恩師のお墓があります。
町田さん、いつも見守ってくれてありがとうございます!
感謝してます!
「渡辺家」は凄いお屋敷です。
門や店構えから奥に見え隠れする蔵など大迫力です。
入場料を払ってでも見てみたい立派なお屋敷です。
「薄皮たい焼き たい夢」に寄り道です。
国道と合流するところに何年か前に出来ました。
つぶあんのたい焼き¥120です。
美味しい!
薄皮がカリッとして、あんこもあまり甘くないので私には食べやすかったです。
国道を暫く歩くと、44kmポストがありました。
国道4号線で4並びです。
幸手まであと5kmと言うことですね。
せっかくなので、究極の4並びです。
最近は歩車道ブロックの上に100m単位のプレートがあるんですね。
大島交差点のスタンド前にあります。
スタンドを過ぎると右にはパチンコ・スロット「杉戸 夢らんど」があります。
そう言えば、以前20年間もお世話になった(株)太平を辞めて、もう6年目になります。
辞める前日の3月30日にここの営業許可が貰えて、ホッとしたを昨日のことのように思い出します。
「夢らんど」の並びには、設計と工事でお世話になったイタリアンレストラン「ガロファロ」があります。
杉板のフェンスがいい感じになってきました。
幸手市に入りました。
この辺から左足が痛くなってきました。
どうやら靴紐をきつく締めすぎたようです。
ジョイフル本田の手前の交差点で国道からお別れです。
国道から街道に入り、踏切を渡って後ろを振り向くと。
もしからしら、線路の向こうの家は旧日光街道の上にあるんじゃない?
多分、踏切をつくる時に街道と線路の角度が薄いので、まっすぐだと都合が悪いと言うことで、街道の上に建物を移設したような気がします。
南公民館の前には「上高野村道路元標」があります。
御成街道沿い石井酒造前の橋のたもとに建てられていたものを移転したそうです。
暫く歩くと突き当たりが日光御成街道と合流です。
突き当たりには石井酒造があり、今はスーパーベルクになっています。
川口、鳩ヶ谷、岩槻を抜けて幸手に至る御成街道は徳川家光の時代に整備されて、徳川家康を祀る東照宮に参詣する代々の将軍が通行したそうです。
何やら手前の左に行く道は「鎌倉街道」だったらしいです。
日光街道の正面にはあった建物です。
スーパーベルクが出来る時に移築し、今はスーパーの後ろになっています。
貴重な文化財を保存してくれることに感謝です。
踏切を渡って暫く歩くと志手橋に到着です。
手前右は国道からの道路です。
「幸手宿」に入ってきました。
「神明神社とたにし不動尊」です。
江戸時代は高札場があったところだそうです。
神社の入り口に「几号高低標(英国式水準点)」がありました。
灯籠の基礎の部分に平板の形が刻まれています。
明治7年にイギリス式の測量方法が導入され、東京・塩竃間の水準測量を行った際に設置されてそうです。
たにし不動尊のはす向かいには「明治天皇行在所跡」です。
元名主の中村家に宿泊をしたそうです。
今はマンションになっているのがちょっと寂しいですね。
幸手駅前道路との交差点を過ぎると古い家並みがあります。
我が町「幸手宿」もなかなかいい感じです。
今も旅館として営業中の「朝萬旅館」です。
ここは青森東京駅伝のたすき中継地点で、子供の頃はここで駅伝を見て感動したものです。
今日はここでお泊まりと言いたいところですが、自宅がここから2分くらいなので、帰ります。
自宅にはちょうど18時の到着でした。
Your Happy My Happy !
どんな人生を歩んできたのか?
どんなライフスタイルをしているのか?
そう言うことが住まいに反映されると思います。
素材感を大切にした木の家(木造住宅)をつくることの歓びを体感したい。
そんな気持ちを形にする応援をしたい。
ハウスメーカーの家や大工さんがつくった家とも違う、設計事務所らしいアトリエ系工務店を目指しています。
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