イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

解決

2012年12月30日 | イコン
来年に持ち越さないように、年内に解決しなくてはならないことがいろいろとありますね。

先に、その決断を下したのは母でした。

画家が描いた母の洗礼名のイコンは間違った聖人のイコンが描かれており、
私は何度も「その人ではありません。神父様がつけてくださったのはこちらです」と言いましたが
画家は「違うわよ。あなたのお母さんはお婆さんなんだから、こっちの人よ」と言います。

このイコンは母や私が制作依頼をして描いてもらうように頼んだわけではなく、
画家が「私が描いてあげる」と言って描いていたものなので、
母も「放っておけばいい。好きなように描かせておけば」と言っていました。

母がお婆さんだからお婆さんの聖像だというのも実に安易な考えで、
自分の好きな聖人を描いてプレゼントするのなら理解できますが、
洗礼名の聖人を間違えて描くというのは私の友人に言わせますと、
「仏教なら違う戒名を渡すみたいなものでしょ⁈」ということで
「これって無礼というものではないかな?」と私は思っていました。

画家には母や私が「それは、母の洗礼名の聖人とは違います。
神父様も教会の会報に名前の由来を書いてくれています」と何度も言いましたが、まったく聞かない。
画家は「あの神父の言うことはあてにならない」とも言います。
本人と家族が違うと言っているのに聞かないのは、もうどうしようもないなと思いました。
私は画家からイコンをプレゼントしてもらわなくても、母のイコンは私が描けばいいので、
別に母とは関係のない違うイコンはいらなかったのです。

祖母も人に頼まれて仏画を描いていましたが、このように依頼や拠り所とはまったく違う仏様を描いたことはなく

とりあえず間違った洗礼のイコンを受け取ったものの
母もどうしていいやらと思案していたようです。

「私たち夫婦の作品はギャラリーで買うと高いのよ。10万はざらにするの。
あなた、欲しかったでしょう。
失敗作だけどあげる」と画家と夫の作った曲がった花瓶や歪んだコップをいただきました。

私や両親は一度も失敗作などほしいと言ったこともなく、
ギャラリーやデパートの展示のときに買わせていただいたものは気に入って使っていますが、
曲がったものや歪んだものを使う気にはさらさらならず、
これもどうしたものか?と思案していました。

画家は「いらないものはいらない」ということに気づいていないようで、
我が家と同じく「失敗作だけどあげる」と言ってもらったある人は
「すぐに、庭で割って棄てた」と言っていました。

母も私も割る気にはならず、次々と「欲しかったでしょう」とくださる失敗作品をどうしたらいいのか?と考えていましたが、
母が「神様が知らせてよい時期を作ってくれるから、少し待ちましょう」と言うので、その時期を待ちました。

その画家の娘さんは気づいていて「おかしいことはないですか?」と聞かれました。
芸術家は思い込みの強い仕事で、またそうでなければできない仕事だということはよく理解していますが、
やはり一般常識というものができていないと「ただのおかしい人」になります。
加齢による思い込みや間違いは誰にでもあるものではありますが、
私は「もう、私みたいな他人ではどうしようもなく、
ご家族で協力して対処するべきでないか?」と思いました。

先日、ついに母が決断を下し、今までいただいた作品を全て送り返しました。

「自分の聖人とは違うイコンをもらう必要はない」ということ
「ギャラリーで買ったら高いものは、我が家には似合わないから、お返しします」ということを書いた手紙をつけました。
私もいただいたものと娘さんと話した会話の内容を手紙に書いてお返ししました。

この状態を放置しておくことは可能ですが、
私以外の方も気づいており、本人に知らせる必要もありました。

画家のことは娘さんが理解されているので、あとはご家族で支えていかれたらと思います。

母は「違う聖人のイコンを持ったまま死ねないから、お返ししてよかった」と安心したようです。

このような問題は高齢化が進む現在、次々と起きてきます。
私もいつなるかわかりません。

ただ、間違ったものやいらないものは欲しくない。
画家には黙って、庭で割り棄てればよかったのかもしれませんが、
私ももの作りの人間ですので、それはとてもできませんでした。

私や家族はみな、この解決は正しいものだと思っています。


一連の解決の事が終わり、母が言ったのは
「人間は年をとると叱ってくれる人がいなくなり、高飛車で傲慢になっていくけど、これがいい例だ。
素晴らしい家族がいるんだから、素晴らしい家族にしてもらえばいい」
ということでした。
これで、私も振り回されすにすみました。

今まで離れていった人々は本当のことを言わなかったのでしょうね。
子どもたちは親のおかしさに気づいていたけど、それを聞く耳を持たない訳ですから。
これ以上、まわりが振り回されないうちに母が本人に知らせてよかったのです。

自分で自分のことや家族を素晴らしいと称えている人ですから。
謙虚さを知らないと恥をかく。
そのこともよくわかっていない様でした。
















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