イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

昨日の会見

2023年09月08日 | その他
大昔の話ですよ。

ジャニーズを憎んでいる人たちもいるでしょうが、
人間には様々な面があり、
悪い面は見てなくて、いい面しか知らない人もいるんです。
人間の表裏は、誰でもあるんです。
その人を見る時、ぐるりと上下、心まで、見ないと
人はわからないんです。
でも、人の全部なんか、夫婦親子であってもわからないと思います。
その話を書きます。

父は母と東京で出会って結婚しましたが、
岡山に来る前、1960年ぐらいまで
東京に住んでいたんです。
私は岡山で1962年に生まれました。

父はジャイアンツの試験を受けたくらい野球が大好きで、
東京で、多摩川の草野球にも通ってました。
その時に、ジャニーさんと会ってるんです。
ジャニーさんは父より3つ年下です。
野球を通して、仲良くしていただいた話は聞いていて、
お姉さんともお会いしたことがあったみたいです。
野球には後にジャニーズとしてデビューする若い人たちも来ていて
楽しい試合だったらしいです。

ジャニーさんや野球仲間たちの交流は父の楽しい思い出で大切にしていました。
その時の野球の話を繰り返し聞かされました。

その父が、ある時から、
楽しかった野球の話を全くしなくなりました。
私はアイドルには興味がなく、
歌や容姿は知っていても
友達のようにブロマイドを集めたり、芸能雑誌を読んだりも
全くしませんでしたから、
今のように、ニュースが勝手にネットから流れてくるなんて
当時はなかったですから
アイドル情報なんて無知のようなものです。
後でわかったのが、
北公次さんが例の本を出した頃、
父が野球の話をしなくなりました。
1988年です。
父も傷ついていたのかもしれません。

私も東京駅でジュリーさんとすれ違った話を父にしたら、
年が(私と)近いね、メリーにそっくりだよ
と言ってましたね。

父も私も真実は知らないのですが、
たくさんの被害者の方がいることは事実です。
父には楽しい思い出を
(黒柳徹子さんもそうだと思います)
被害者の方には苦しみを与えていたジャニーさん、
東山さんは
「誰も幸せにしなかった」と言われたけれど、
父は楽しかった思い出しかないんです。
ジャニーズが大好きで、追っかけていた人たちだって
幸せだったんじゃないかな?

人間の表裏を考えさせられる事件です。
今後を見守りたいです。


ジャニーズを憎んで、
ジュリーを嫌う人たちが聞いたら
婆さん、何言ってんのさ‼️と言われそうですが
あの会見を見て、ジュリーさんは、お嬢様なんだなと思いました。
お母さんのメリーさんが、
見せていたものと、
見せなかったものがあるんだろうと思います。
娘のジュリーさんは、知っていても、
知らないふりをしていたことがあるのもわかりました。





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