あかるみて のちのねむりの きみのめを ぬひてさまよふ わがうれひかな
*これは試練の天使の作品です。
あなたは夜明けが来てから眠りにつく。その目をわたしはしっかりと縫う。目を覚ましてはならない。だがそれをするわたしの憂いも、さまようように動き始める。
厳しいことをする人の胸にも、いつも厳しくなりきれない何かがうごめいているものだ。だが、厳しいことをするために、いつもそれを抑えている。
憂いは蝶のように自分の胸の籠に飼い、美しいものと愛でて見せよう。それが男というものだ。
男というものは、常に愛を行いながら、どこかで愛と決別していなくてはならない。その激しい極みを、ほとばしる情熱で生きていく。ありとあらゆるものが、その叫びの中から生まれてくる。
真の男というものは、実に美しいものです。生きていくことが楽しい。
今の人間世界では、こんな男を生きていくのはダサいという考え方がありますが、それは間違っていますよ。弱い男が自分の方をよくするために、巧みに作っている修辞法です。実は何もできない自分を隠すために、馬鹿なことを言っているだけです。いつまでもそれは通用しない。
何かをやらなければならないときに、言い訳にもならないことを言って逃げては、もう男ではない。それは単なる馬鹿です。
男になれない男は、馬鹿になるより仕方ないのです。
馬鹿になりたくないのなら、逃げてはならない。できるようになるために、勉強しなさい。