たづねきて 留守と言はれし 耶蘇の夜 夢詩香
*今日はイヴですので、この句を選んでみました。耶蘇とはイエスのことです。知っていると思いますが、一応。
ウィリアム・ホルマン・ハントの絵に、「世の光」というのがあります。イエスがランプをもって、あるみすぼらしい家を訪ね、その戸を叩いている。だがその戸にはノブがない。内側から開けてくれなければ、イエスは中に入ることができないのです。
世を照らすことのできる、素晴らしい救いの教えを、イエスが持って来ても、人間が心を開いてくれなければ、だめだという意味らしい。
救い主はだれの家の戸もたたいてくれる。だが、戸をたたいて中に入れてくれと言っても、留守と言われれば、何も言えない。黙って言葉を飲み、夜の道をランプで照らしながら、帰っていくよりない。
この時代、あなたがたの経験したことも、これに似ていますね。あなたがたは、救いの種を持って来た天使を、断ってしまった。なぜならあなたがたは、救い主が鼻たれ小僧のような醜い姿で来るかもしれないことは考えていたが、まさか、たぐいまれな美女の姿をしてくるとは思っていなかったからです。
このように、神の試練は、人間の常識や推測を軽く超えてやってくるものです。人間の最も弱いところから、噴き出てくるものなのです。
あなたがたはかのじょを断ったことによって、人間の、最も弱く恥ずかしいところを、世界にさらしてしまったのです。かのじょは、あなたがたが決してそんなことにならないようにと、努力していたのに。
たぐいまれな美女こそが、美女に弱い人間の心を知っているのです。ですから、それをやさしく受け止め、かのじょはそれをよいことにしてくれようとしていたのです。
それを、見事に、あなたがたは追い出してしまったのです。