背に腹を 変へてあらがふ 男気を 試し尽くして 砂の世となる
*これは、いつもの作者とは違う人が詠んだ歌です。わたしたちはたくさんいますので、この媒体を利用して、いろいろなものが歌を詠んでいます。
どうです、きついですが、わたしの作とも違うでしょう。この人の歌は、明快ですが、どこかこん棒で殴られるような強さがある。男の矛盾というものを、まっこうからたたくような強さがある。
もちろん、獅子のようなつよい人が詠んだのです。
背に腹を変えることなどできないのに、無理にそれをやって、世間を自分の思い通りにしようとしてきた。それは、悪いことをするもののほうがいいのだということに、してきたということです。そのほうが賢いのだ。なぜならこの世界は馬鹿ばかりだから、それとしのぎを削るためには、悪いこともふんだんにできるやつのほうが、よいのだ。
なぜそうするかって、悪いことをするほうが、楽だからです。勉強などしなくていい。つらい修行などしなくていい。ずるいことをして人をだましてやるほうが、ずっと楽で面白い。人間などみな馬鹿にしてしまえばいい。
確かに、人間も、痛い現実と戦う時には、あえて悪いことをすることも必要になることがあります。ですがそれは、方便の一つにすぎません。そればかりをやっていては、あまりにもひどいことになる。
結局は弱いものに嫌なことを押し付けて、暴利をむさぼる馬鹿ばかりが繁栄し、嫌になるほど汚いことばかりが起こる、苦しい世界ができあがる。法則の反動が押し寄せてくるたびに、心善きものが社会を改めて何とかしてきましたが、安定してくるとまた馬鹿がふざけだして、あらゆる馬鹿をやり始めて、社会を黒く汚していく。
そういうことばかりしてきて、とうとう馬鹿になりきったのが、この時代です。
神に逆らって、背を腹だと言ってごまかして、何もかもをだましてきた男たちの、見事にやせ細った馬脚が現れてきたのです。
ゼウスのように立派な体格をしている男の中に、何も勉強してこなかった、猿のように弱い馬鹿がいるのです。
あれが、恐ろしい強権で世界を席巻してきた悪魔というものの、正体なのだと、とうとう人類が気づいたのです。