悲しみは 弱い自分を 守る嘘 夢詩香
*古語を使って詠むことが多いですが、これなどは、現代の言葉で歌った方がよいような気がします。現代人の心に現れてきた上澄みのようなものだからです。
人間はいつも、なにがしかの嘘をまとって生きている。嘘をまとわなければ、自分の最も痛い弱さがあらわになり、それを認めてしまうと、すべてがだめになってしまうからです。
弱い自分を打ち壊して、本当の強さに目覚めなければ、本当の幸福はないのに、弱い人間はそれが怖くて、なかなか嘘の衣を脱ごうとしない。その心は、予防注射を怖がる子供の心とほとんど変わらないのだが、すべてに背を向けて、頑なに弱い自分を守っている。
それで悲しいことになると、わびさびを気取って、悲哀に酔う心が高尚なのだと言い訳をして、自分がいいやつだということにする。
愚かなことです。わたしは真っ向から、それは間違っていると言います。結局は大変なことになってつらい思いをするのは自分だからです。
その嘘を守るためには、いろいろな間違ったことをせねばならない。それでいろいろなつらいことが生じる。それを何とかするために、また馬鹿なことをやらねばならない。そんな人生は苦しいことばかりだ。
前に赤信号の句などを紹介しましたが、赤信号も大勢で渡れば、車の方が止まってくれて、無事にやり過ごせると思ったら、大間違いですよ。
なぜなら、道を走って来るのは、車だけだとは限らないからです。人間の運命というものは、人間の浅はかな考えだけではつかめない。時には、道交法など吹き飛んでしまうようなものが、道を走って来るときもあるのです。
一般道を、戦艦のようなものが走ってきたらどうします。法則の世界では、あり得ないことではないのです。そんなものがきたら、赤信号を渡っている者は、本当にみんな死んでしまう。
実例を見ている人もたくさんいるでしょう。信号は、正しく守った方がよいのです。
弱い自分を守る嘘は、もうそろそろ、脱いだ方がいいですよ。