坂本を 真似る男は いなか猿 夢詩香
*これは前の「信長を」の句と対になる作品です。ほとんど同時にできました。
馬鹿というものは、いつも自分よりいいと思う人間の真似をするものです。
この時代、欧米的な足の長いスタイルの美女が流行りましたが、それももとはと言えば、そういうタイプの原型の美女がいて、それがとてもきれいだったので、みんなが真似し始めたというのが本当です。
松田聖子ちゃんの若い頃は、彼女の髪形を真似した女の子がいっぱいいましたね。流行というのはそういうもの。いつもオリジナルがいるのです。
坂本龍馬の真似をしている男もたくさんいます。スタイルを完璧に真似している馬鹿もいれば、行動を真似している馬鹿もいる。やれもしないのに、日本を掃除するみたいなことを言って、言い訳程度のことをやってごまかしているだけだ。
本当に坂本龍馬に学ぶのなら、世間の反動を覚悟したうえで、決死の行動をとるべきです。当時脱藩は大きな犯罪だった。いつでも時代を変えようとするものは、それまでの時代の常識に真っ向から挑んでいかねばならない。
もうできてしまった常識の範囲で、坂本の真似をしても馬鹿になるだけだ。猿真似でしかない。坂本も苦い顔をしているだろう。
坂本の真似をしている男は、命も誇りもかけないで、ただうまくやってもてたいだけの馬鹿男だと言ってかまいません。
また最近は、かのじょの髪形を真似している女性も多く見かけます。あの人が美しかったので、しっかり真似しているのです。彼も言っていましたが、それはやめたほうがいい。人間の真似ならまだ馬鹿が少ないが、天使の真似はやらないほうがいい。
あまりにも、卑怯だからです。
あそこまでなるまでに、あの人がどんな苦労をしたと思っているのか。
それを簡単に、形を真似るだけで手に入れようとしている心が、どんなに愚かで醜いか、少しはわかってもらいたい。
馬鹿というものは真似ばかりしている。自分より他人の方がずっとよく見えるからです。自分よりいいと感じる他人を見つめている時の、馬鹿の目はいつも、あの人のようになりたいと言っています。それがどんなに馬鹿みたいに見えるか、全然気づいていない。
そういうことはもうやめて、自分なりの美を探した方がいい。神が与えてくれた自然な自分の姿に戻り、正直にそれを生きていった方が、ずっと美しいのです。