しろかねの 月はどなたが 解きし鳥 夢詩香
*太陽が照ることを、当然だというよりも、月が照ることを、当然だということのほうが、苦しいことのような気がする。そういう感じはありませんか。
太陽がなくては生きていけないから、とんでもなく必要だから、それはあってしかるべきと考えても苦しくはない。では月はどうだろう。
月がなくても、たぶん、生命活動に、それほど大きな影響はないかもしれない。少なくとも、太陽を失うほどの大きな喪失ではないだろう。だのに、月はある。
なぜ月はあるのだろう。なぜ神は、この地球世界に、月という衛星をくれたのだろう。
ほかの天体と比べても、地球型の惑星で、地球ほど大きな衛星を持っている星はありません。あれは、ほんとうに、大きな愛で、誰かが地球に下さったとしか思えない。
ではそれは一体、何のためなのか。
星の運行により、暗闇も生じる世界を、月の光で照らすためか。それもあるだろう。月があるだけで、暗闇を生きるものの恐怖は少なくなる。だがそれだけではない。
妻を持つ男は、それだけで情感が膨らみ、生きることがうれしくなる。夜にひっそりと添うてくれる月は、それがあるだけで、人間の心が豊かに膨らんでくる。
もののあはれというものは、太陽よりも、月に育てられるものだ。
小さいもの、弱いものに対する情愛が、きめ細やかになってくるのは、月の光があまりにやさしいからだ。なんと美しいものなのだろう。愛さずにいられない。
太陽が生き物の命を保証するものなら、月は、人間の中にある愛を、神が信じているという証拠なのだ。
あれは、神が、地球に生きる魂たちのために、空に解き放った美しい鳥なのです。
人間が、愛するために、月は必要なのです。