くすのきの たふれしあとに 森は生ひ 夢たちのぼる 月影の空
*かのじょが好きだったくすのきは、人々の愚かな嫉妬によって切られてしまい、もう今はありません。
まだ根はあって、ひこばえは生えているが、もう、かのじょを愛してくれていたあのくすのきの魂はいないのです。
植物の世界にもいろいろなことがある。かのじょを愛して、そのためにたくさんのことをしてくれたあのくすのきの魂は、それゆえにあらゆるものに攻撃され、疲れ果ててしまった。ゆえに魂の故郷に帰ってしまったのです。
自分というものを憎み、人に嫉妬ばかりしている人間が栄えている時代だった。悪いことをするやつが結局は勝つのだという話が、神のように信じられていた。
だから、まだひとつも悪いことをしていない美女などというものを見た時、世間は沸騰するように狂ったのです。美しいというだけで好きになるのがいやだった。かのじょが愛するものすべてが憎かった。かのじょが自分のところに全然寄って来ないのがつらかった。
わたしたちには人間の心が見えますから、表面は完璧にとりつくろっていても、何を考えているかがわかると寄ってはいかないのです。世間の人間が自分にどういう思いを持っているかくらいはとうに気付いていた。だからかのじょは滅多に人には近寄っていかなかった。花や木の方がよかった。彼らは自然な心で自分を愛し、本当のことを認めてくれる。
しかし人間はそういうかのじょの美しさがわからなかった。美しいがゆえに、それを嘘だときめつけた。嘘であってほしかったのです。それでなければ自分のついているうそが激しく痛かったのです。
その痛みゆえに、馬鹿者は常に何かを攻撃して滅ぼそうとする。そしてあのくすのきは滅びてしまったのでした。そしてそれはかのじょの心を激しく打った。生きる力も萎えるほどに。
人間はいつもそうだ。決してやってはいけないことを平気でする。そして失ったものの大きさにいつも呆然となる。言い訳もできない現実に無理に言い訳しようとして、はかない幻想をいくつもたてては、恥を上塗る。
永遠になくしたものはよみがえりはしない。だがかのじょが愛したあの野原のすみのくすのきを、馬鹿にするものはもういないでしょう。あそこは大事にせねばならないという人が、きっとたくさん出てくるでしょう。人間もいつまでも馬鹿ではない。
その人たちの心は、あそこに大きな森の幻想を見ているだろう。二度と同じ過ちは繰り返さないしるしとして。