あがにはに 白きさうびの 木のありて 照る日ににほふ 初夏の風
*「初夏」は「しょか」ではなく「はつなつ」と読みましょう。分かっているとは思いますが、一応細やかに言うのがわたし流です。
かのじょはあまりこんなことはしませんでしたね。本人が勉強好きで、わからないことがあったらすぐに自分で調べるようなたちだからです。そういう性質なので、他人もそうだと思うようなところがある。学者気質というものだ。だがわたしはそうではない。
不勉強なものはなかなかにそう自分からは熱心にやらないものだということを知っています。ですから細やかに解説するのです。
こういうわたしだからこそ、読む人はいろいろなことがわかって勉強になるでしょう。
以前、別館ブログの掲示板で、デンマークかノルウェーの画家の絵を紹介したことがありましたね。庭にみごとな白い薔薇の木があって、そのむこうで画家の奥さんらしき人が昼寝をしている。その見事な薔薇が、なんとなくかのじょに似ていると、アンタレスが言っていました。
それを聞いて、なるほどと思い、詠んでくれたのが冒頭の歌です。
確かに似ている。かのじょは植物霊に近い天使ですから、それもありうることです。清らかに誇らしく、陽だまりの中に立っている白薔薇の木は、とてもかのじょによく似ている。
白い薔薇の木に似ているなどというと、またかのじょの伝説ができそうだ。
いなくなってしまった人を少しでも取り戻そうとするために、人はあらゆる話を欲しがるからです。
もう何年経ったのか、すぐには思い出せなくなりました。かのじょに人生を終わってくれと告げたあの日のころから。わたしたちの頼みを聞いて、かのじょは驚いたが、すぐに納得してくれた。そしてわたしたちを信じてくれた。
かのじょが人生を降りる決意をするのにかかった時間は、ほんの数分でした。まったくあっけらかんと明るく、ああそうなのですかと、あの人は言って、自分をゆずる決意をしたのだ。
薔薇の木に、花を折ってもいいかと尋ねて、ああいいですよと、答えが返ってくるように。
植物というものも、時に、あまりにも簡単に自分を捨てるものなのです。そしてすべてをわたしたちにくれる。
白い薔薇の木に似ていると言われても、しかたのないことかもしれません。