おほきみの 高き御座を とほくみて 国をおもひし はしための月
*「御座」は「みくら」と読みましょう。読めると思いますが一応。古語辞典には「座(くら)」は座るところだとあります。ですから「高き御座」が何かは自然とわかりますね。
王様の高い御座を遠く見ながら、国を思って祈り続けていた、はしためのような身であったあの月は。
たしかに、かのじょの身分ははしためのようなものでした。いえ、「ような」ではありませんね。はしためでした。書店で勤めていた時も、夫の清掃業を手伝っていた時も、人はかのじょをはしため扱いしていましたし、かのじょもそれに別に文句は言いませんでした。従順にまじめに働いていた。つらいとも思わなかった。
その影で、毎日のように近くの神社に行っては、神の前に出、真剣に国を思って祈っていた。
知っていたのです。自分が祈れば神が聞いてくださることを。自分はそのようなものだとわかっていた。
なぜわかったのか。それを説明することはできません。ただかのじょは若いときから、国のことが心配でならなかった。田舎に住んでいる無名の人間でありながら、なぜこんなに真剣に国のことを心配するのか。それはわからない。ただ確信があった。神は自分を見てくださっていると。
実際そのとおりだったのです。天使にはよくこういうことがある。どんな田舎の、低い身分に生まれていようとも、自分は神に見られているということを感じているのです。
そして世のため人のために高いことをなそうとする。
治世、ということにしましょう。かのじょがこの国に治世を敷いていたのは、昭和陛下が死んで間もなくから、自分の人生を強制終了されるまでです。その間、国はさまざまな難に洗われながらも無事だった。なんとかなっていた。変則的ではありますが、国は確かな王を頂いて、平穏を保てていたのです。
これに、いつまでも知らないふりをしていてはいけないのですよ。かのじょは別にかまわないと言って死んでいったが。そのままにしておいて困るのはあなたがたのほうなのだ。何とかしなければ、大変な反動がやってくる。
かのじょがいなければ、日本はとんでもないことになっていたかもしれないのです。今上陛下の徳分では、もろにおそろしい難が来る。それを防いでいてくれたのはかのじょなのです。
その治世の間、あなたがたは平和で豊かな国であらゆることをすることができた。それは、田舎で貧乏暮らしをしていた、ひとりの女性のおかげなのです。
これを嘘だと言って封じ込めることをする人は、恐ろしいことになるのです。もうそれくらいのことはわかるでしょう。いつまでも無知なままではいられない。
人間はどんどん変わっていく。成長した感覚から、新たな知識がどんどん入っていく。
いい加減に、嘘にまみれた過去の時代の幻は捨て、少しずつでも、真実のために何かをしていきましょう。全部でなくてもよい。
ひとつひとつを積み重ねながら、もう時代を変えていきましょう。