負けられぬ 下郎の恋は くるしけれ 千度ためして 一勝もなし
*これは柘榴ことエラキスの歌です。瑠璃の籠ではセギンという名前を使っている人です。全員の中で、星の名前が二つある人はこの人だけですね。どちらでも好きな名前で呼んでください。
この原稿を書いている今の時点では、ツイッターの方で彼の暴走が続いています。少々頭にきているらしい。まあ気持ちはわかる。わたしも押さえてはいますが、怒りにまんじりともできない時はよくあります。
それほど馬鹿のしたことはひどかったのです。
究極のこの時代に、人類の馬鹿がやった美女いじめは壮絶なものでした。狂っていたとしか思えない。なんでこんなことになったでしょう。
それは彼らが、万年の人類史の中で、何もやって来なかったからです。ずるやあくどいことで自分を得させるようなことばかりしてきて、自分の勉強はほとんどやって来なかったのです。それゆえに、自分があきれるほどつらいものになってしまい、女性が全く寄って来なくなった。その苦しさのあまり、彼らは激しく美女を憎んだのです。
そしてことごとく殺してしまった。愚かという言葉も高級に聞こえるほど愚かなことだ。
美しい女性たちは、長い年月を修行してきて、自分がとてもきれいになっていたのです。彼らはその差に目眩さえ覚え、われを失った。美しい女性を見て、自分は好きになるのに、何の力も身につけていない自分には、彼女らに近寄ることすらできない。だから裏からあらゆる謀略を張って手に入れようとしたのだが、結局誰も手に入らなかった。
悪いことをすれば女を思い通りにできると思い込んでいた馬鹿は、千度もそれを繰り返したが、結局は一勝もできなかったということです。
なぜそういうことになったのか。よき人を支えるよきものの霊界というものがあることを、彼らは全く知らなかったからです。
勉強をしてよいことを積み重ねてきた美しい女性たちは、もう悪いことにはならないほどの、法則的壁ができていたのです。その壁の向こうに逃げられれば、馬鹿は思い通りにしようとしてもできない。そんなことすらわからないほど、馬鹿は何もしてこなかったのです。
悪というものは所詮、圧倒的善の世界の中で、一時的に描かれるくらい文様に過ぎない。ある程度発展すれば壁にぶつかってしぼんでゆくものなのです。似たようなことを繰り返し経験してきながら、ここにきてもまだわからなかった。
阿呆というものの苦しさが際立ってわかる。彼らは悪の正体を明らかに人類に教え、そのまま人類世界を出て行く。あらゆる馬鹿をやりすぎ、とうとう人類のすべてに嫌われたからです。もう誰も、何もしてくれない。
悪いことをして、すべてに勝とうとしてきた馬鹿の、それが末路なのです。