村肝の こころをだきて われを生き うつくしき世を 神にささげむ
*「村肝の(むらきもの)」は「こころ」にかかる枕詞ですね。こういうのがあると便利だ。呼び水となってすぐに歌ができてくる。
心を大事にして、自分を生き、その美しい人生を、神にささげましょう。
人生というのは、自分のものではありません。本当は、神から借りているものなのです。それが証拠に、人間はどんなに頑張っても、人間を作ることはできない。どうすれば子供ができるかは知っていても、その子供を最初からつくることなどできはしない。
人間は霊魂から肉体まで、すべて神に創っていただいているのです。
なぜ神はそうしてくださるでしょう。それは人間を愛しているからです。人間に人生を勉強させ、よいものになってもらいたいからです。人生は幸福になるためにあるのではない。勉強するためにあるのです。
ですが人間の中には、少しでも人生が暗い方向に行けば、すぐに自分の人生を捨てて、何も勉強しないままに終わってしまう馬鹿がいるのです。それは人生を馬鹿にすること、ひいては人間に人生をくださった神を馬鹿にすることです。
人生はよいことばかりではない。つらい試練もある。つらさというものも味わわなければ、人間は心というものがわからないのです。ですから神は時に人間につらいことも味わわせる。しかし馬鹿というのはそういうのを嫌がって、いいことばかりで自分の人生を作ろうとする。
人からの盗みで自分を美貌にし、徳分も盗んで自分をいいことにし、幸福と栄光だけがある明るい人生を作ろうとするのだが。それが最後までうまくいったことはありません。どうしても反動が来て人生が暗転する。そうなったらすぐに、人生をやめて、霊魂が逃げてしまう人間がいる。
神が与えてくださった人生を、まるで馬鹿なものにしてしまう。
人間としての正しい態度は、人生を最後まで真面目に生き、美しく整えた人生を、神にささげることです。すると神はその人生を、いいことに使ってくださる。
途中で放り投げて逃げてしまうことは、最もやってはいけないことです。