これ以上 進めぬ壁を たたいては まだやりたがる 偽物の馬鹿
*大火節です。
現代語を用いてこう言いぬく清々しさは彼ならではのものです。言われた人間も、その通りですというしかない。
偽物というのは、人の顔姿を盗んで、勝手に作り替えた自分を生きている人間のことです。馬鹿は遠い昔からそういうことばかりしてきて、本当の自分を生きたことはほとんどないのです。
なぜなら本当の自分は、ずるばかりして、とても痛いものになっているからです。ほとんど自分の勉強をしていませんから、人間というよりは動物に近い顔をしている。それが嫌なことをして醜くなったという顔になっている。
そういう自分が嫌でしょうがありませんから、馬鹿は人から盗んだもので自分をきれいにして、そればかり生きてきたのです。
きれいになれば人がいいことをしてくれて、自分ではなんにもしないですむと思っていたのです。
しかし、いつまでもそんなことが通用するはずはありません。馬鹿はこの時代で、神に試されるのです。永遠にそんなことばかりしていくつもりなのかと、神がお尋ねになる。そのときに、そうだと答えれば、もうそのものは人間を落ち、人間世界とは別のところへ追い出されるのです。
それは、永遠に自分では何もやらず、人に依存して生きるという意思表示だからです。そんなことをすれば、この世界に苦しみが絶えることがない。人に依存して生きる者は、人を支配して、人になんでも自分のことをやらせようとするからです。
この世界を愛と幸福の世界にするために、神はご決断なさるのです。もう人に自分を押し付ける馬鹿は、この世界にいてはならないと。
そんなぎりぎりの選択の時代が来ているというのに、馬鹿はまだやりたがる。偽物の自分をこれでもかときれいにして、まるで天使か女神のように演出している。
そう。馬鹿はまさに、神の自分を盗むのです。神になれば、すべてが自分の思い通りになるとでもいうように。馬鹿はそうまでして、自分だけをいいことにしたいのです。