いやらしい ことをしたいと 思うのは 馬鹿な自分が つらいからだよ
*大火節ですね。これも話し言葉がそのまま歌になったような作品だ。自然にこういうのができるのが、彼のすごいところです。なんだか明快すぎて、解説を入れるのも不要なようだが、一応やってみましょう。
人間の馬鹿というのは、いやらしいことをしたいと思うものらしい。人を馬鹿にして、人を傷つけたいと思うものらしいです。なぜならそれは自分がつらいから。自分を馬鹿だと思っていて、それがつらいからなのです。
自分は馬鹿なことばかりしている。それが嫌でたまらない。こんな自分など馬鹿だからいやだ。それが苦しくてたまらない。だがあいつは自分ではない。それだけで自分よりいいものに思える。だから憎い。いやなことをしてやる。
ここらへんが、馬鹿者の心理というものでしょう。
しかし自分というものは、本来馬鹿なものではありません。それはすばらしい機能を持ったすばらしい命なのです。神はそういう風にわたしたちを創ってくださった。それを馬鹿にしているのは、自分なのです。
馬鹿なことをして、自分を馬鹿なものにしているのは、自分なのです。
それで他人がうらやましくてたまらなくなって、他人を傷つけることばかりしてしまう。そんな自分がまたいやになる。いやなことばかりして、いいことはなにもしないからです。そんな矛盾のスパイラルの中で、馬鹿者の精神は苦しんでいる。
そこから自分を救うためには、本当の自分の真価に気づくことです。自分の本来のすばらしさに気づくことです。これを解脱というのですが。
馬鹿者は嘘で築いた偽物の自分にこだわって、なかなかそれをやりたがらない。
いつまでも矛盾の中に苦しみ、人を馬鹿にしてばかりいる。それが自分の不幸の種だと、気づいていない。
だから馬鹿だと言われるのです。