かほふせて 何が悔しき しくらめん 夢詩香
*しくらめんというのは、いつも顔を伏せて咲きますから、何やら心を隠しているという風情があります。
植物との話し方というのを、かのじょはあなたがたに教えていましたが、今はあなたがたも、写真を見るだけで、なんとなく花のいうことが分かるようになってきたでしょう。
その感覚は、耳で聞いて脳で理解するという感じではない。何か、目から入って来て霊魂の感性に染みてくるという感じなのです。
霊魂の感性が発達して来れば、ものを言えないものの気持ちも、わかってくるのです。
ですからこのしくらめんの写真を見て、しくらめんの気持ちがわかる人もいることでしょう。しくらめんが、何かを悔しがっているということを、感じることができる人はいるでしょう。何をこの花は悔しがっていると思いますか。
それは、女性たちが、どんなにがんばっても、不当な扱いしか受けないということを悔しがっているのです。男の二倍はがんばっていても、絶対に男はそれを正しく認めてくれない。すぐれた仕事をしても、結局は男にいやなことをされて、つぶされてしまう。
そのことをしくらめんは悔しがっているのです。
あなたがたは花が何も感じていないと思っているかもしれない。
だが、人里に生きている花は、いつでも人間を見ているのです。そして人間の悲しみに、自分も震えている。そしてどうにかしてあげたいと思っている。
花というものは、よく女性の周りに集まる。女性はよく花で自分を飾る。それは意味のないことではない。女性たちが男によって虐げられているという苦しみを、花たちは少しでも何とかしてあげようと思っているのです。だからその心をなんとなく感じて、女性たちは花に寄っていくのです。
花は女性たちの心の中に入り、色んなことをしてくれるのです。そして女性たちは自分の中に美しい花を見つけ、愛で耐えていこうと思うことができるのです。