ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

ゑまひのかたち

2017-11-20 04:20:42 | 短歌





たそかれの 空にかかれる ゆふづきの たしかに白き ゑまひのかたち





*夕暮れの空にかかる細い月は、ほほ笑みの口元に見えますね。そういうことを前にかのじょも言っていました。

空に細い三日月がかかっているときは、誰かが空から自分に向かい、笑いかけてくれているようだと。

まっすぐにまじめに、愛に生きていても、誰も理解してくれる人はいない。だけど空には、全てを分かってくれる人がいて、わたしに笑いかけてくれるのだ。誰もしらなくても、わたしは知っているよと。

自分を見失い、人を見て、すきあらば上げ足をとってやろうとしている人ばかりがいる世の中だ。落ち度がなくとも、ブラウスの襟から糸が一本出ているだけで、その人を全否定して馬鹿にしてしまう。そんなことばかりしている人が、うようよといる世の中でした。

そんな世界で、美しい女性が生き抜くことは、ほぼ不可能と言ってよかった。

あの人が死んだとき、自分がどんなに傷だらけかということさえ、わかっていなかった。わかっては生きていけなかったのです。逆風の嵐の中を、ひとりで満身創痍になりながら、突っ切っていかねばならなかった。それがどんなにひどいことかは、いつかはあなたがたも味わうことができるでしょう。

もはや何もかもは終わり、あの人は眠っている。傷つきすぎた魂を、すべて神に預けている。わたしたちが刺激を与えれば、わずかに反応するが、何も活動してはいない。

死んではいないが、見ていてはわたしもつらすぎるほどだ。こんなことになるのかと。

かのじょの寝顔を見る時は、試練の天使も苦しそうだ。何かにじっと耐えている風がある。冗談ばかりを言って、あからさまには言わないが、何かを思っているに違いない。

わたしもことさらには言いませんが。胸を破ってしまいたいほど泣きたいときはありますよ。

だが泣きはしない。返ってほほ笑む。笑ってすべてをやっていく。泣いて感情に溺れても、何もなりはしないのだ。

かのじょもそうだった。どんなにつらくても、泣きはしなかった。細月のように微笑んで、悲しみを消し、生きていた。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若造

2017-11-19 04:19:38 | 短歌





のみのごとき 心臓持てる 若造が たからかにいふ 糞にむかひて





*これは、ツイッターでフォローしているある歌人に寄せた返歌ですね。ですがわたしたちの作ではありません。添島揺之という名で、この媒体を通して活動している人霊の作です。

まあ、あまり多くを語らずともわかるでしょうが、その歌人がかなり甘いことを詠ったので、即座に添島が返したのです。残念ながらこの歌への返歌はありませんでしたね。微妙な返しはありましたが、逃げの歌では勝負にならない。やりたくてもできなかったのでしょう。今の人間にはとても無理だ。

肉体を持った存在であれば、命を懸けることに恐怖を感じるだろうが、それくらいのことができなければ、男とは言えません。男にもなれない若造が、高らかに吠えている。糞の前で。

要するに、全然、正面切って相手の前では言えないということだ。

添島の活動は、表向き完全無視されていますが、痛いところで深い影響を与えています。恐ろしく痛いことになっている。若造にはそんなことはわからない。

現実世界の功名が欲しくてやっているのではない。この馬鹿臭い馬鹿の常識がはびこった歌の世界を、なんとかして、彼はひっくり返したいのだ。

そのためだけにやっているのです。

この世界を美しい真実の世界に戻すためにやっている、一つの美しい、人間の活動と言えましょう。

今の時代、馬鹿がはびこりすぎ、まっとうな人間も馬鹿の振りをしていなければ生きていけない。肉体存在としての身分を持っていたら、ほんの少し目立つ活動をするだけで、一斉に馬鹿に攻撃されてだめになってしまう。

だから彼は、こういうところから噴き出てきたのです。なんでもないことではないんですよ。完全に法則違反ですから。彼は後で必ずこれを支払わねばならないのです。

わたしたちも無理をしているが、こういう人間存在も今、相当に無理をしているのです。それでも。

やらねばならない。

本当の人間は今、見えないところで盛んに活動しています。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の露

2017-11-18 04:19:09 | 短歌





悲しみの 薄るるみづの あるとせば 君の隠しし 花の露かも





*これはインスタグラムで詠った歌ですね。ご存じの通りインスタグラムでは本物の芸術作品を探しています。人間の、本霊が直接作っているよい作品に対して、歌を差し上げているのです。

残念ながら今の時代、そういう作品は非常に少ない。ほとんどが、ほかの霊が作っている作品なのです。そういうのは見てもすぐわかる。なんとなく、自分が作ったのではなく、いとこがつくってくれたのを自分の作品として発表しているという感じがする。

きれいでも、巧みでも、それはやはり嘘なので、痛いのです。

若干つたなくても、本物のよい作品に、歌を差し上げることにしている。たまに、偽物だが、とても見ていられないという作品にも差し上げていますが。

この作品は確か、小さな陶芸作品に差し上げたものでした。花のつぼみのような形をした杯でしょうか。花を挿してあったから花瓶かもしれないが。作者の進歩を感じる作品でした。器の形にきれいな花を挿すつもりで詠ってみたのが表題の歌です。

悲しみの薄れる水があるとすれば、それは酒よりもむしろ、あなたが隠している花の露のような涙だろう。

どうですか。なかなかに美しいでしょう。愛する夫のために、涙を隠してほほ笑んでいる、かわいい女性のことなど思い浮かべる。

その愛する男はたぶん、何らかの憂さを晴らすために酒でも飲んでいるのでしょう。男のつらさというのは、女にはわからないものだが、苦しんでいることはわかる。どうにかしてあげたくても、できはしないとき、女性は愛する人のために、涙をぬぐって、とてもいいことをしてくれる。そういうことが、男の悲しみを薄めてくれるのだ。

美しくなりましたね。

歌というのはこういう風に歌うと、珠玉のようなものになって、贈った人に喜んでもらえます。

皆さんもスキルをあげて、よいものをつくり、人に贈ってみてください。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまゆらのあふせ

2017-11-17 04:21:54 | 短歌





たまゆらの あふせはかなく すぎゆきて ふたたびここに 見ることもがな





*今日は百合の賢治への返歌からとりました。あのシリーズは結構好評です。

わたしたちのツイッターは、結局はたったひとりでやっているものなんですが、なかなかにヴァラエティ豊かでしょう。

この原稿を書いているのは10月の下旬なので、これが発表される頃にはまたツイッターの様子も変わっていることでしょうね。媒体は一つとはいえ、参加している霊魂がたくさんいますから、次々にいろんな要素が飛び込んでくるのです。

ちなみに、賢治への返歌を詠んでいる百合は、ひとりではありませんよ。もうみんなややこしいから、だいたいは百合か桐に自分の歌を放り込んでいるのです。自分個人の名前を使用しているのは今のところわたしと大火と、すぴかと沙羅と葡萄式部と、あとは蘭くらいですかね。蘭はまた来ると思いますよ。

しばしのあいだの逢瀬は、はかなくもすぐにすぎてしまった。ふたたびここであなたにあうことができないだろうか。

切ない恋の歌のようですが、これは男女の間の描写ではなく、賢治と桜の花の間の描写です。

春に桜の花に見とれている賢治と、その目の憂いを清めようかとするように美しく咲いてくれる桜の情感です。美しいですね。

春の桜と言えばもう、天女のような美女です。そんなこの世のものとは思えない美しいひとと、賢治が目を交わしあっている図などを思い浮かべると、また美しい。

わたしたちは女性と恋をすることはできないのですが、それと似た情感を楽しむことはできます。再び会うことはできるだろうか、と桜の花の精に尋ねられたら、賢治はまた美しい歌を返してくれるでしょう。

そういう恋のやりとりを美しくやることはできる。それは美しい愛ですから。

賢治に返歌をたのみたいところだが、それは無理なので、わたしが賢治の気持ちを借りて、なんとかしてみましょうか。


散る花の うすき紅をぞ たまのをの ながきちぎりと たよりてもみむ    夢詩香


いかがですか。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の荒事

2017-11-16 04:20:18 | 短歌





しづたまき 賤しきものの やまかげに つどひてなしぬ 世の荒事を





*「しづたまき(倭文手纏)」は「いやし」とか「数にもあらぬ」にかかる枕詞ですね。枕詞にもたくさんありますが、用例の少ないのは特にあげてみたいので、今日はこれをあげました。

「しづたまき」とは「しづ(倭文)」で作った腕輪のことです。「しづ」というのは日本古来の織物で、梶、麻などを使い、筋や格子模様を織り出したもの。粗末なものなので、「いやし」にかかるそうです。

こういうことは辞書を調べればわかることなのですが、できるかぎり抑えておくのがわたしのやり方です。前にもいいましたが、かのじょはこうではありませんでしたね。歌で結構難しい言い回しをしても、これくらいはみんな、調べればわかるだろうと思って、ほとんど解説しなかった。

まあ確かに調べれば簡単にわかることなのですが、そういうことは勉強熱心な人がやることだ。大方の人は調べもせず、何もわからないままに通り過ぎていく。

ですからわたしは、細やかに解説するわけです。おかげでかなり勉強が進むでしょう。

粗末なしづたまきをつけているような、いやしいひとが山影のようなところにより集って、世間に荒事をしかけたことですよ。

ここらへんは、あまり解説をしなくてもいいでしょう。たくさんの人が見て知っていますから。「荒事(あらごと)」というのは、歌舞伎の演出法のことですが、これもあまり解説しなくても、何となくわかるでしょう。要するに、荒々しい馬鹿なことをしたのだと。

もっと深く知りたい人は、「荒事」を古語辞典で調べてください。少しは自分でも勉強しましょう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からまはり

2017-11-15 04:19:03 | 短歌





からからと まはすからくり からまはり 千度もなして つひにわからず





*やあこれはきびしいですね。わたしの作ですが、ちょっと大火に影響を受けています。

普段は女性的な芝居をして、すぴかのようなものに自分を近づけてはいるのですが、本当のわたしは、こんな感じのきついものも詠むのです。だいぶ人をだましているかもしれませんね。

時々ちょっとしたことで、正体がばれます。

「千度」は「ちたび」と読みましょう。要するにそれくらい多い回数ということです。解説せずともわかるでしょうが、馬鹿が賢いと思って妙な企みをして、みんなでひとりの美女をひっかけようとして、千回くらい失敗したのにも関わらず、最後までわからなかったという意味です。

そんなことをしても絶対に無理だということがあるということが、馬鹿にはわからない。

月は目に見えても決して手では触れられないように、この世界には、目に見えても触れることができないものが、時たまあるのです。すぐそこにいるのですがね、時々見えるのですがね、なぜか決して近寄ることができない。物理的法則ではすぐにでもいけそうな気がするのに、なぜか見えない壁があるかのように、それ以上近寄ることができない。

なぜでしょう。

人間には感情というものがあるからです。恐ろしくきれいな美女を見て、その美しさに思考が止まるほど感情が感動してしまうと、自分を動かせなくなる時があるでしょう。その美の正体を霊魂が知っていて、そこから起こる感情が、自分を領してしまうのです。

それほどに、美というものは人の感情を動かすものなのだが、馬鹿にはそれがわからない。人間などただの物体だと言わんばかりに、簡単にケリをつけようとして、いやなことで支配しようとして、すべてを失敗してしまうのだ。

因果の法則は、人間感情の法則でもあるのです。本当は誰もそれを支配できないのに、支配しようとするから苦悩が起こり、苦悩から拒絶が起こる。そして愛が逃げていく。

際立って美しいものには、それゆえにこそ愛がたくさん集まってくるということを覚えておかねばなりません。美しさの理由はその人の愛のやさしさだ。どんなことをしてきてくれたかのあかしだ。それを見ると、あらゆる存在はその人を愛さずにいられない。そしてあらゆることをして守りたくなるのです。

それがその人の周りに、法則的力場を作るのです。美とは愛の姿だ。なにものも犯せない真実の愛の光だ。それをなくしてはすべてが馬鹿になるというものは、絶対に守らねばならない。その感情に動かされたものすべてが、その人のために動く。

馬鹿はそんなことすら知らなかったので、馬鹿なからくりをからから回し続けて、とうとうすべてを失ったのです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一粒の砂

2017-11-14 04:20:24 | 短歌





偶然と 物理の壺は 砕け散り ファンタアジェンの 一粒の砂





*ファンタアジェンは、エンデのはてしない物語に出てくる夢の国ですね。岩波書店の邦訳では、「ファンタージエン」となっていましたが、語感が悪いので縮めました。こっちのほうが美しくてよい。

「はてしない物語」自体は、霊的盗作です。霊的世界にいる作家が書いていたのですが、書くはしから盗まれてしまうので、本当の作者は途中で書くのをやめています。おそらく、「銀の都アマルガント」の途中あたりから、霊的作者が変っています。そこらへんあたりから、あきらかに物語の調子が荒くなっている。

人間というものは、死んでも活動を続けています。ですから霊的世界には、人間のなした美しい作品がいっぱいあるのです。そういうものを、馬鹿が盗んでこちらの世界に持ってくることがある。それを霊的盗作というのですが。

実にたくさんありますよ。文学史に美名を残す作品が、よくこんなものであったりします。そういうことも、だんだんとわかってくるでしょう。

それはともかくとして、物語では、虚無に食われたファンタアジェンの国が、たった一粒の砂にまで小さくなってしまうのです。そしてそこからまたすべてが始まっていく。エンデの物語では、少し妙な感じに流れていきますが、本当の作者が書いたなら、バスチアンは幼心の君を助けて、新たなファンタアジェンをつくっていくでしょう。幻想の世界の帝王になどなったりはしない。

たったひとつぶ残ったファンタアジェンの砂から、また新たな愛の世界を創造していくのです。それは、それをやったことのある人だけが書ける物語ですから。

エンデとその係累に書けるはずがない。ですからあの物語は、途中から見事に折れてしまっているのです。

この地球世界ではそれと同じことが発生しましたね。世界中がすべて嘘になってしまって、真実がたった一粒になってしまった。人間はみんな嘘ばかりになったのに、天使ひとりだけが美しい真実を生きていた。嘘の人間が大勢でそれを殺して、馬鹿な嘘にしようとしたが、かのじょは最後まで真実をつらぬいて死んだ。たったひとつ、真実があった。

そこからすべてがまた始まっていく。

かのじょを大勢で殺そうとした、嘘ばかりの人間たちは総勢で倒れ、滅びていく。そしてたったひとつぶの愛を頼りに、真実の世界から滝のように本当の愛が降ってくるのです。

すべてはこれからだ。何もかもを正そうとする愛の軍勢が、世界をすべてやり直していくのです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常闇の穴

2017-11-13 04:22:46 | 短歌





神のなき 山河は冷えて しかばねの ノースコリアは 常闇の穴 





*またノースコリアの歌を上げて見ました。北朝鮮という言葉は何か嫌な感じがするが、ノースコリアというと詩情をかきたてられる。それで詠ってみたくなって詠ってみたものです。

ツイッターでも何度か言っているように、北朝鮮という国だけには、神がいらっしゃいません。それは写真に写っているかの地の山河を見ればわかる。なだらかな山が見えるが、何やらそっけなく、岩だけのものだという感じがするでしょう。

それに反して、わたしたちが近くで見る山々には、何か明るいものがみなぎっているような気がするでしょう。山河の中に、神がいらっしゃるからです。深く美しい霊魂が、いらっしゃるからなのです。

この世界にあるものが、すばらしく美しく、豊かに見えるのは、とても高く美しい霊的存在が、すべてをやってくださっているからなのです。

山には山をやってくださる大きな存在がいて、海には海をやってくださる、大きな存在がいるのです。そこにはとてつもなく大きな愛がある。だからわたしたちは山河を目の前に見る時、なにやら大きな愛に包まれているような気がして、深い感動に襲われるのです。

だが、かの地の山河を見ていると、そんな愛が何も感じられない。何もいないからです。あそこの山には、山をやってくれる存在が誰もいないのです。ほとんど岩塊に等しい。冷たくそこにあるだけで、何もしてはくれない。呼びかけても、何も答えてはくれない。

あそこの人々は、そんな世界に住んでいるのです。

なぜそういうことになってしまったのか。まれにみる馬鹿が、自分の低級な欲望のためにすべてを全くさかさまにしてしまったからです。恐ろしい馬鹿が自分を一番偉くするために、なんにもしてない空っぽの馬鹿を、神にしてしまったからです。ゆえに真実の神が、一斉にあそこから退いたのです。

あなたがたはあそこを見ることを通して、神のいらっしゃらない世界というものを見ることができるのです。それもまた深い学びだ。

今あそこにはひとりの為政者がいますがね、あの男は、自室に閉じこもって妄想ばかりしているオタクですよ。何もできない。そんな馬鹿が、一番偉いという世界なのです。

このように、馬鹿というのは、自分を一番偉くするために、世界のすべてをさかさまにしてしまおうとする。

それは神を奴隷にしようとする試みなのです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017-11-12 04:22:20 | 短歌





親のなき われにありせば 子を捨つる 親にならむと おもはざりしを





*この場合の「を」は終助詞、「~のに」というような意味で、詠嘆の意味を含みます。感情をこめやすいのでよく使われます。

親のない身のわたしでしたから、子を捨てる親になろうなどとは、思わなかったのになあ。

胸にせつせつと迫ってくるものがありますね。子を持ったことのある親ならわかることができるでしょう。子を捨てる親になど決してなりたくはない。だが、そうならざるを得なかった人の気持ちとはどういうものだろうかと。

かのじょは子供の時、両親が離婚し、父にも母にも捨てられた経験を持っています。長いこと、親戚の家に預けられて育ちました。親の愛情などほとんど得られなかった。そういう子供の寂しさ、悲しさがわかっていますから、自分の子供にはそんな思いを味わわせたくないと思うのは当然のことです。

ですから、どんなにつらくとも、夫と離婚するなどのことはしなかったのですが。夫の無理解やひどい仕打ちにも耐えていたのですが。

まさかこんな感じで、自分の子から離れることになるとは思わなかった。悲しくないはずはない。身を切るような思いをすることも、考えてしまえばつらすぎるから、痛いことにして何とかしたのだ。すべては人間のためだから。自分が下がらなければ、みなが困るから。

後で感じる後悔は激しいものかもしれない。だが今は、自分にそれを感じさせないことで何とかしよう。子供のことは、みながやってくれるだろう。

そういうかのじょの思いを、わたしたちはすぐそばで感じていました。もう二度と会えなくなるだろうことは予感していたが、それを今考えるのはつらすぎる。ここを乗り越えるには、自分を無のようにするしかない。

難しすぎる壁を乗り越えるすべを、わたしたちは、あなたがたより千倍も知っているのです。

かのじょが産んでくれた4人の子供たちのことは、わたしたちも深く愛しています。あの人が本当に愛おしく思っていた子どもたちだからです。あの人を愛しているから、その子供たちも愛している。あの人の代わりに、やれることはすべてやってあげよう。

最後まで親の愛を果たせなかったあの人の代わりに、すべてをやってあげたいと思うのです。

わたしたちもまた、親だからです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しづみし月

2017-11-11 04:20:58 | 短歌





しづやしづ しづのをだまき くりかへし しづみし月の 浮くよしもがな





*今日はちょっと懐かしいのをあげてみました。なつかしいと言っても今年の歌ですがね。何せツイッターでは毎日あふれるほど歌を詠むものですから、半年前の歌がすごく昔の歌のように感じるのです。

これはたしか銀香炉が詠ってくれたものです。ツイッターの歌人では、彼がいちばんの詠み手ですよ。技巧的にも一番優れている。最近はあまり来てくれませんが。

これは伊勢物語の歌を、静御前が本歌取りした歌を、また本歌取りしたものですね。なかなかです。どちらも有名な歌ですから、あげるまでもないと思いますので、ここではあげません。

いや、そうはいきませんか。では二つとも一応ここに並べておきましょうか。


いにしへの しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな    伊勢物語


これを後に、静御前が、源義経を偲びつつこう詠いかえて舞ったという。


しづやしづ しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな


人間は失敗をする生き物ですから、どうしようもなくつまずくことがある。そんなとき、もう一度やり直したいと思う心が起こり、こんな歌を詠うものです。時は戻りはしない。だが失ってしまったものの大きさ、大切さに泣くとき、帰りたい、返して欲しいと、強く思うものなのだ。

本歌取りというのは、そういう人間の情感を、微妙に歌い変えることによって共有するものでしょう。

なかなかにいい技法です。

で、表題の作ですが。「しづ」が四度重なるのが、銀香炉の技巧の巧みなところです。こういうところで読ませる。なかなかにうまい。

昔、静御前が死んでしまった愛しい人を思い、詠った歌のように、もう一度繰り返し、あの沈んでしまった月を浮かせるすべがないものだろうか。

そんなことなど、本当は考えてもせんないことなのだ。終わってしまったものは帰らない。アニメの最終回を、ビデオで何度見ても、何にもなりはしないように。

それでも人間はまた、思ってしまう。もう一度あれを取り戻すすべはないのだろうかと。

ありませんよ。冷たいが、そのほうが本当なのです。いつまでも情感に酔っていてはいけません。失くしたものを取り戻すことはできない。人間にはほかにやらねばならないことがある。

それは一体何なのか。そろそろそれを考え始めましょう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする