9月22日、立山黒部アルペンルート物見遊山。早朝4時上田市のアジト出発、大町市扇沢へ。
関電大町トンネルをトローリーバスで潜り黒部ダムへ、ケーブルカー、ロープウエイ、トローリーバスを乗り継ぎ室堂まで。
関電大町トンネル(5.4㎞)をトロ―リーバス(架線から電源をとる電動バス)で黒部ダムへ。
室堂へのルートは堰堤を約500m歩いて黒部ケーブルカーの黒部湖駅へ。ケーブルカー800m、5分。
※余計なことだが・・・関電大町トンネル・・・関西電力黒部第四発電所・黒部ダム建設の資材運搬用のために掘削されたトンネル。1956年着工、1958年開通。翌1959年黒部ダムと黒四発電所との間に黒部トンネル開通。1963年黒部専用鉄道が仙人谷より黒部第四発電所前まで開通。1963年黒部ダム完成、黒部第四発電所完成。赤沢岳(2679m)の真下、標高1450mを貫通(5.4㎞)、多量の水分を含む破砕帯80mのために工事は難渋した。国立公園内であり工事終了後は一般公共使用に供するという条件のため観光路線として1964年トローリーバスの運行が開業。
1964年、毎日新聞で木本正次著「黒部の太陽 日本人の記録」が連載、同年、毎日新聞から単行本として出版。1968年、三船敏郎プロダクション・石原裕次郎プロダクションの共同制作で映画「黒部の太陽」(監督・熊井啓)が完成・公開。
※参考・・・映画「黒部の太陽」(三船敏郎・石原裕次郎主演)のDVDあり。NHKプロジェクトX挑戦者たち「黒四シリーズ」DVDあり、木本正次著「黒部の太陽」(信濃毎日新聞社文庫 1998年刊)。
関電大町トンネルをトローリーバスで潜り黒部ダムへ、ケーブルカー、ロープウエイ、トローリーバスを乗り継ぎ室堂まで。
関電大町トンネル(5.4㎞)をトロ―リーバス(架線から電源をとる電動バス)で黒部ダムへ。
通称クロヨン・・・黒部ダム・・・堤高186m、堰堤長492m、1956年着工~1963年竣工。標高1450m。
観光放水・・・自然環境保護のため6月下旬から10月中旬まで、時間を決めて、毎秒10トン。
高所から俯瞰できる展望台、同じ目線の展望台、見上げる展望台など・・・パスして室堂へ。

ダム放水の近くでは虹が・・・温度、光線、見る位置などで・・・画像として取り込むには難しい。、

黒部ダム堰堤から見上げる立山連峰・・・大汝山(3015m)、富士の折立(2999m)・・・雪のように見えるのは花崗岩系の岩礫。

観光放水・・・自然環境保護のため6月下旬から10月中旬まで、時間を決めて、毎秒10トン。
高所から俯瞰できる展望台、同じ目線の展望台、見上げる展望台など・・・パスして室堂へ。

ダム放水の近くでは虹が・・・温度、光線、見る位置などで・・・画像として取り込むには難しい。、

黒部ダム堰堤から見上げる立山連峰・・・大汝山(3015m)、富士の折立(2999m)・・・雪のように見えるのは花崗岩系の岩礫。

室堂へのルートは堰堤を約500m歩いて黒部ケーブルカーの黒部湖駅へ。ケーブルカー800m、5分。
※余計なことだが・・・関電大町トンネル・・・関西電力黒部第四発電所・黒部ダム建設の資材運搬用のために掘削されたトンネル。1956年着工、1958年開通。翌1959年黒部ダムと黒四発電所との間に黒部トンネル開通。1963年黒部専用鉄道が仙人谷より黒部第四発電所前まで開通。1963年黒部ダム完成、黒部第四発電所完成。赤沢岳(2679m)の真下、標高1450mを貫通(5.4㎞)、多量の水分を含む破砕帯80mのために工事は難渋した。国立公園内であり工事終了後は一般公共使用に供するという条件のため観光路線として1964年トローリーバスの運行が開業。
1964年、毎日新聞で木本正次著「黒部の太陽 日本人の記録」が連載、同年、毎日新聞から単行本として出版。1968年、三船敏郎プロダクション・石原裕次郎プロダクションの共同制作で映画「黒部の太陽」(監督・熊井啓)が完成・公開。
※参考・・・映画「黒部の太陽」(三船敏郎・石原裕次郎主演)のDVDあり。NHKプロジェクトX挑戦者たち「黒四シリーズ」DVDあり、木本正次著「黒部の太陽」(信濃毎日新聞社文庫 1998年刊)。
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