比企の丘

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NHK大河ドラマ「晴天を衝け」がはじまった・・・渋沢栄一の生家はこんな家

2021-02-15 | 本・テレビ、ドラマ・映画・スポーツ
2月14日のNHKテレビ・・・大河ドラマ晴天を衝け」がはじまりました。
物語りの中心人物は埼玉県深谷市郊血洗島(江戸時代武蔵国榛沢郡血洗島村)の生まれ、日本の近代資本主義経済の基礎作った男といわれる渋沢栄一・・・
第1回の視聴率は20.0%・・・だそうです。
昨日のわたしのブログの閲覧数・・・テレビの力・・・渋沢栄一に関するブログの閲覧数543PV。
2015年2月23日のブログ・・・クリック
武蔵国血洗島の・・・名門から出た・・・近代資本主義を作った男「渋沢栄一」

たびたび訪れている渋沢栄一の生家を紹介します。
1895年建造の主屋。典型的な養蚕農家の家です。奥行き5間、間口10.5間。切妻二階建て。二階は養蚕室、屋根には養蚕用の煙出(温度調節)があります。屋号は「中ノ家」(なかんち)。名字帯刀を許された本百姓、村三役クラスの家。幕末から明治の時代には養蚕、藍玉生産販売、雑貨商、質屋業を営んでいました。
長男である栄一が1865年、家を離れたため妹が婿市郎を迎え1980年代に養蚕を拡大するために建て直され、1895年火災で焼失、同年再建したのが現在の家。妹夫婦は渋沢家を大いに栄えさせました。1983年埼玉県指定旧跡に、市郎の孫嫁多歌子が1983年「学校法人青淵塾国際学園」を設立、外国人の日本語・日本文化研修施設として43ヶ国679人の留学生が学びました。学園は2012年解散、2012年深谷市の帰属となり深谷市指定史跡に。


豪農の家に見えますが、ここら辺の農家は大体こんな家です。栄一の育った時期はまだ茅葺きの平屋、二階家になったのは栄一が家を出てから10数年後です。二階は養蚕のための蚕室です。養蚕の時期は蚕棚の間に布団を敷いて寝ていました。

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