![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/20/f0535c749d168ebfd9075d7b86055de3.jpg)
霧ヶ峰・・・霧と風と山と草原と湿原の拡がる台地です。
車山の西麓、コロボックルヒュッテのテラスでお茶しました。正面に霧ヶ峰湿原植物群落が広がり丘のような蝶々深山が続いています。この山小屋は1956年10坪の広さで開いたのだそうです。あたりに溶け込んだ佇まいがわたくしは好きです。ヒュッテという何語かわからない名前は気に食わないのですが。
このへんは海抜1800m弱、1817mの丘に上がって西の方角を眺めています。はるか遠くに槍ヶ岳、穂高連峰が見えます。その手前が常念岳から徳本峠に続く山なみ、そして鉢伏山、真下の草原が奥霧ヶ峰です。
中央に走る道路が「ビーナスライン」。この風景を眼にしたとき、むかしむかし読んだ新田次郎の小説「霧の子孫たち」(文藝春秋社、1960年刊)のことを思い出しました。
「美~無しライン」といわれたこの観光道路が長野県企業局で計画されたのは1950年代でしょうか。この小説は諏訪在住の人々が霧ヶ峰の貴重な財産を守るために繰り広げた闘い?を書いています。霧ヶ峰の財産、それは弥生時代の貴重な大コロシアム階段状遺構、御射山遺跡、諏訪神社、そして何万年も費やして形成された高層湿原、そして草原や湿原が作った花や樹木、小動物のすべてです。
計画はこの神聖な遺跡のど真ん中や湿原の真横に線が引かれていました。
イラストでは右の谷の中が聖域です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b6/cb60c048b3dd10be40499c1cf758a60a.jpg)
新田次郎というペンネームは霧ヶ峰の南端の強清水から諏訪方面にわずかに下った角間新田という集落の出身から。シンデンの次男坊だったのです。
「強力伝」という小説で世に出ますが、「八甲田山死の彷徨」「聖職の碑」「孤高の人」などが知られています。山国に生まれて富士山頂の気象観測所の仕事をしていますから山岳小説はリアルでこの人の右に出る人はいません。小説の話に戻ります。
新田次郎さんの霧ヶ峰に対するもの凄い思い入れです。数えた人によると、花26、山草・木の実22、樹木7、野鳥17が全編に亘って散りばめられているそうです。花が咲き鳥が啼いています。
三人の実在した方が登場します。考古学者の藤森栄一さん、諏訪地方の弥生時代の遺跡の発掘で有名な方です。医者でありアマチュア天文学者の青木正博さん、高校の生物教師牛山正雄さん。小説ですからこの三人の口を借りて新田さんは熱い思いを語っています。執念です。
県の修正案に対して議論が交わされます。いつの世にも賛否両論あります。この場合、長時間の議論を尽くして妥協案に落着きます。かくして計画路線に対して修正案が決定されて1966年~1980年114億円の計画が実行され、2001年有料道路は無料化されます。
小説ですがドキュメントです。観光公害に対する告発です。この告発のためかわかりませんが霧ヶ峰の貴重な自然はかろうじて守られています。車山のビーナスラインの下は別荘、プチホテル、レストラン、ペンションがひしめいていますがそのほかのところでは高層ホテルが立ち並ぶという光景は見られません。
県の計画自体悪かったかということはわたしにはわかりません。県は民間の観光デベロッパーから地元を守ったいうことも言えます。美しい風景が大勢の人に見られるということはイイことです。
そんなことを思いながらこの丘から霧ヶ峰、美ヶ原、飛騨山脈を眺めました。
自然っていいですね。どうか大事にしてやってください。
霧ヶ峰の略図です。
行く前や後からこういうのを描くのが好きです。
何回もイメージの中でトレッキングができます。
「ビーナスライン」計画路線と決定路線を書き入れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a8/ed8c0c02695e6170a31b7da4403f5e84.jpg)
八島ヶ原高層湿原・・・車の窓から見えません。
駐車場から数10mのトンネルを歩いて抜けると眼前にひろがります。
感動です。
行く前や後からこういうのを描くのが好きです。
何回もイメージの中でトレッキングができます。
「ビーナスライン」計画路線と決定路線を書き入れました。
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八島ヶ原高層湿原・・・車の窓から見えません。
駐車場から数10mのトンネルを歩いて抜けると眼前にひろがります。
感動です。
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ソーラーパネル、わが村にも侵食してきています。知り合いの農家では山林の借地の話しが来たそうです(断ったそうですが)。日本中、同じような現象が起きていると思います。
現在の政財官の姿が見えてきます。
長野県には終戦直後、浅間山麓米軍演習所計画を退けた歴史もあります。頑張ってください。
この問題、今日のブログに、コメントも含めて加筆しようと思っています。
またおりにふれて、機会を見てキャンペーンを張りたいと思います。
コメントありがとうございました。
牛正先生は病床で、校歌の一節「平和の二字を得んとする。」と歌いお亡くなりなりました。
縄文、弥生のふるさと、諏訪大社のふるさと、数10万年かけて造られた湿原…みなさんに楽しんでもらいたい。
どうか大事にしてやってください。
コメントありがとうございました。