2011年9月29日のブログ・・・「信州佐久の・・・東馬流(ひがしまながし)・・・秩父暴徒戦死者之墓」・・・朝から閲覧が来ています。
2017年7月1日、今朝の朝日新聞朝刊の別刷「be on Saturday」の記事「みちのものがたり・・・秩父困民党の進軍路 (長野県)」の影響です。
この記事で、菅原文太さんの生前のラストメッセージ・・・を伝えています。
「秩父暴徒戦死者之墓」と書かれた大きな墓石です。
秩父騒動が秩父の谷で瓦解したあと、同志を率いて信州に移動した秩父困民党参謀長菊池寛平の孫たちが戦死者の霊を弔うために事件50周年の昭和8年(1933年)に建立したものです。
「暴徒」と記されています。昭和8年の日本の状況下では「暴徒」という表現にせざるを得なかったものと思われます。それでも死者の霊を弔い、この事件を風化させないために祈念碑を建立した菊池家の人たちの心情に感動します。
・・・ブログをはじめて10年、ずっと追い求めてきたテーマです。
折りを見て秩父を尋ね困民党が最初に集結した風布から決起集会の下吉田村椋神社、最後は困民党終焉の地、東馬流(ひがしまながし)まで尋ねました。取材にあたってブログフレンドの秩父出身「縄文人さん」にいろいろご教示いただきました。あらためてお礼申し上げます。。
全部で10数編になりますが主なブログをリンクしました。一読していただけたら・・・
★2008年5月10日のブログ・クリック「秩父路を行く・・道の駅「龍勢会館」・・『草の乱』」
★2011年9月29日のブログ・クリック「信州佐久の・・・東馬流・・・秩父暴徒戦死者之墓」
★2012年5月12日のブログ・クリック「佐久甲州往還・・・東馬流・秩父困民党終焉の跡」
★秩父事件を尋ねて歩いた道をフォトアルバムにまとめました・クリック→「秩父へ・・・秩父事件の原点を追いかけて」
2017年7月1日、今朝の朝日新聞朝刊の別刷「be on Saturday」の記事「みちのものがたり・・・秩父困民党の進軍路 (長野県)」の影響です。
朝日新聞の記事内容を写真に撮らせていただきました。読んでみてください。
この記事で、菅原文太さんの生前のラストメッセージ・・・を伝えています。
「今、日本はおかしくなっています」
「なぜ怒りの声が上がらないのか」
「なぜ怒りの声が上がらないのか」
千曲川の畔・・・絶壁「天狗岩」・・・戦いは東馬流村の外れのここではじまった。
※↑↓の写真は2011年訪れたときのもの。「秩父暴徒戦死者之墓」と書かれた大きな墓石です。
秩父騒動が秩父の谷で瓦解したあと、同志を率いて信州に移動した秩父困民党参謀長菊池寛平の孫たちが戦死者の霊を弔うために事件50周年の昭和8年(1933年)に建立したものです。
「暴徒」と記されています。昭和8年の日本の状況下では「暴徒」という表現にせざるを得なかったものと思われます。それでも死者の霊を弔い、この事件を風化させないために祈念碑を建立した菊池家の人たちの心情に感動します。
・・・ブログをはじめて10年、ずっと追い求めてきたテーマです。
折りを見て秩父を尋ね困民党が最初に集結した風布から決起集会の下吉田村椋神社、最後は困民党終焉の地、東馬流(ひがしまながし)まで尋ねました。取材にあたってブログフレンドの秩父出身「縄文人さん」にいろいろご教示いただきました。あらためてお礼申し上げます。。
全部で10数編になりますが主なブログをリンクしました。一読していただけたら・・・
★2008年5月10日のブログ・クリック「秩父路を行く・・道の駅「龍勢会館」・・『草の乱』」
★2011年9月29日のブログ・クリック「信州佐久の・・・東馬流・・・秩父暴徒戦死者之墓」
★2012年5月12日のブログ・クリック「佐久甲州往還・・・東馬流・秩父困民党終焉の跡」
★秩父事件を尋ねて歩いた道をフォトアルバムにまとめました・クリック→「秩父へ・・・秩父事件の原点を追いかけて」
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時々青い空が見え隠れ。
ブログ「俳優菅原文太と秩父事件」から、
A4に切り抜いて、
何回も何回も読み返しました。しかし言わんとしていることが今ひとつ分かりません。
何故だろう?もう一度夜が明けて読み返した。
やっぱり々でした。
秩父事件の蜂起された椋神社
目と鼻の先で育ち、祖母から竹槍と白いはちまき、むしろ旗を掲げて、巣掛り峠を経て、小鹿野町の高利貸しへと、突進する姿を囲炉裏を囲んで昨日のように聞かされた。
首謀者井上伝蔵の1年間の隠れ家、関へも訪ねた。(北海道へ渡り、死の直前に秩父事件の首謀者と明かす)
近くにも多く秩父事件に関わった家が有り、その裏話を聞いたことがあります。
菅原文太氏が「「今、日本はおかしくなっています」
「なぜ怒りの声が上がらないのか」これだけで総括されるのでなく、
その深層(何故?どうして?)を聞きたかった。
これが分からない理由です。
「秩父困民党」に惹き付けられて尋ねた旅が思い出された。椋神社の石段も懐かしい。
菅原文太さんが出演したNHK大河ドラマ「獅子の時代」はほとんど記憶にない。主人公の会津藩士が秩父困民党に参加したとは・・・
亡くなられる19日前に秩父で講演したとは。
私は「秩父困民党事件は秩父人の誇り」とブログに書いたが、文太さんも同じ意味のことを言ってるのではないか。
「権力の理不尽に団結して立ち上がった底力」と秩父人のことを語っています。
「秩父困民党事件の原点を追って」・・・いろいろ教えていただいてありがとうございました。」
森友・加計問題は安倍夫妻の権力の私物化だと言われ、国民すべてのものである憲法を、安倍家の家訓を書き換えるような軽さで私案を公表するのでは国を預けられません。と言われています。
国家権力は国民のためよりは、権力保持を至上の命題とするシステムですから、油断せず政府をよく注視し、常に監視続けなければなりません。と強調されています。
北杜市明野で文太さんの開いた農場に在住し、全国を講演してらっしゃるようですね。
折りがあったら文子さんの活動をブログで紹介してください。
朝日新聞の記事によると文太さんはNHK大河ドラマ「獅子の時代」の撮影での野辺高原を訪れ地元の人との交流で八ヶ岳山麓が気に入り北杜市で農業を始めるようになったとか。
文子さんのこれからの活動を期待しています。
お知らせいただいてありがとうございました。