比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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比企の川を跨ぐ木造冠水橋・・・島田橋・赤尾落合橋・長楽落合橋の風景

2014-10-19 | 冠水橋・潜り橋・渡し場
比企の郷、越辺川・都幾川、いまも低水位の川を跨ぐ冠水橋があります。関東の川のほとんどは大正明治年代から昭和のはじめまで舟による渡しでした。、やがて幹線道路は高水位まで跨ぐコンクリートの永久橋が造られ生活道路は木造の冠水橋にかわっていきました。その木造冠水橋も橋脚はコンクリートとか鉄骨にかわり、時代とともにコンクリートの永久橋にかわっていきます。
さて、わたしの家からさほど遠くない越辺川の島田橋、赤尾落合橋とそれにつながる都幾川の長楽落合橋・・・木造の冠水橋でした。
今日はその木造冠水橋の今むかしの風景を紹介します。

2014年10月8日・・・台風18号通過後の島田橋の様子です。
6月の長雨で損壊した島田橋のままです。左岸に打ち上げられた橋桁は撤去されています。

2014年6月16日ブログ掲載、長雨で流れた島田橋です。

2007年9月6日ブログ掲載の島田橋です。

島田橋が架けられたのは明治時代の初期ではないかといわれています。それまでは島田の渡しでした。
川越児玉往還、八王子千人同心街道の要衝です。1920年上流に高坂橋が掛けられるとその役目を終えて、周辺住民の生活道路になります。

2014年10月8日の赤尾落合橋・長楽落合橋の様子です。
手前が赤尾落合橋、向こうの白い看板のあたりが長楽落合橋なんですが、いまはどちらも見る影もありません。。

2009年10月16日ブログ掲載赤尾落合橋です。

2009年10月16日ブログ掲載の長楽落合橋です。

時代が変われば橋の様相も変わる。島田橋は再築の予定はあるようですが生活道路の役割は終えているようです。赤尾落合橋、長楽落合橋は2009年の損壊以来再築の動きはないようです。

ちなみに・・・島田は越辺川右岸の坂戸市の集落名、赤尾は越辺川右岸の坂戸市の集落名、長楽は都幾川左岸の川島町の集落名、落合は2つの川の合流点であることから。

《どうでもいいことだが》冠水橋という言葉は埼玉県(荒川水系)のみの固有の呼称のようです。土木用語では潜水橋。各地で呼称が違います。最近は沈下橋が一般用語のようになりつつありますが(Wikipediaの記載もそう)、沈下橋は四国の四万十川のみの固有の呼称です。潜没橋(京都)、流れ橋(京都、岡山)、沈み橋(九州)、潜流橋、潜り橋、などなど・・・。時代劇の殺陣シーンでお馴染みの京都の木津川に架かる上津谷橋は1953年渡船場廃止の代替で架けられたもの。チョンマゲの時代には木造潜水橋はなかったのではないかと思います。


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