地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳
中央アジア・・・ウラル山脈の南麓あたりから移動してきたマジャル人が建国したというハンガリ―・・・
首都ブダペスト・・・ドナウ川の左岸、ペストの街の側からブダ側のゲッレールト山を観ています。
ゲッレールト山(マジャル語でゲッレールト・ヘジでヘジは山。英語表記ではhill、丘と訳される)・・・標高235m、ドナウ川からの比高約150m。
山の名前「ゲッレールト」は11世紀初めの初代ハンガリー国王イシュトヴァーンがキリスト教布教のためにイタリアから招いた伝道師の名前に因んで15世紀につけられた。それ以前はケレン山(9世紀にここに定着したマジャル人ケレン族から)。正式名は「ケレン山」。
ブダペスト市街を一望できる丘・・・19世紀ハンガリーがオーストリアハプスブルグ王国から独立する動きのある時代この山はハプスブルグ王朝の重要な監視塔として、第二次世界大戦ではナチスドイツとソ連軍との攻防戦で、1956年ソ連の事実上支配下にあったハンガリーの内乱で介入したソ連軍の大砲基地として、この山はいつの時代も軍事上の拠点となりました。
山上の「自由の像」 ・・・台座26m、塑像14m・・・シュロの葉をかざした女神像。
第二次世界大戦の1945年、ソ連軍がナチスドイツと激戦の末、勝利し、ハンガリー人民のハンガリー王国からの解放を記念して1947年に建立したもの。
ナチスドイツに加担して枢軸国となったハンガリー王国はナチスの支配下に、ソ連軍の勝利でハンガリー人民共和国になって今度は事実上ソ連の衛星国に、1989年ハンガリー、オーストリア国境の鉄条網撤去、ハンガリーが体制変換するまで続きます。
像の記念碑にはこのようの記名されていたといました。
山上の「自由の像」 ・・・台座26m、塑像14m・・・シュロの葉をかざした女神像。
第二次世界大戦の1945年、ソ連軍がナチスドイツと激戦の末、勝利し、ハンガリー人民のハンガリー王国からの解放を記念して1947年に建立したもの。
ナチスドイツに加担して枢軸国となったハンガリー王国はナチスの支配下に、ソ連軍の勝利でハンガリー人民共和国になって今度は事実上ソ連の衛星国に、1989年ハンガリー、オーストリア国境の鉄条網撤去、ハンガリーが体制変換するまで続きます。
像の記念碑にはこのようの記名されていたといました。
解放者である ソビエトの英雄達を
記念して 感謝する
ハンガリー人民
1945年
1989年このように改められたという。
ハンガリーの 独立と自由と幸福のために
命を捧げた者達 全てを記念して
記念して 感謝する
ハンガリー人民
1945年
1989年このように改められたという。
ハンガリーの 独立と自由と幸福のために
命を捧げた者達 全てを記念して
※撮影日は2017年7月28日。
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