比企の丘

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吉田満の・・・戦艦大和のさいご・・・人間による人間に対する加虐の状況

2012-10-28 | 語り継ぐ責任 あの戦争
酷暑の8月、読んだ本です。児童書です。なかなか自分の考えをまとめられずに今日まで来てしまいました。

今年3月、理論社という児童書の出版社の元社長の小宮山量平さんが亡くなられました。出版社の編集・発行人として数々の名作を世に送り出し優れた作家を育ててきましたが、自分ではほとんど筆を握ることなく、社長を退いててから「千曲川四部作」という作品を出しています(一部そして明日の海へ」は路傍の石文学賞特別賞を受賞)。
小宮山さんがなぜ筆を握らなかったのか・・・それについて「千曲川」で下記のように記しています。

戦後、仲間たちで作っていた季刊雑誌「理論」に発表した「楯に乗って還れ」という文が連合軍総司令部(GHQ)により全文削除(Delete)命令を受けました。理由は「左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が追求されている」という説明でした。

かくしてそのごは筆を握ることなく、出版人として歩みだすのですが出版してきた本を見ますと平和への想いが思想になっています。

その小宮山さんが戦後、最大の戦争文学として挙げているのが吉田満さん(以下敬称略)の「戦艦大和の最後」、梅崎春生の「桜島」。二書とも読んでみましたが今回は「戦艦大和のさいご」について話してみたいと思います。

著者の吉田満は戦艦大和の乗員3009名の内の生き残った269名のうちの1人。敗戦後の1945年秋、両親の疎開していた東京都西多摩の吉野村(現青梅市)で吉川英治と会う機会があり、体験を綴ることを勧められたという。ほぼ1日で文語体で書かれた初稿は1946年12月雑誌「創元」に掲載される予定でしたがGHQの検閲で全文削除(Delete)の命令を受けます。

この本が口語体に書き直されて出版されたのは講和条約が結ばれ独立国となったあとの1952年(創元社)です。

吉田満著「戦艦大和のさいご
       (偕成社1964年刊)

戦艦大和について・・・
1937年起工(太平洋戦争の4年前)
1942年進水
1945年4月7日鹿児島県坊の岬沖で沈没
総工費1億3700万円(現代の換算として東海道新幹線建設費に例えられる)
長さ263m、総t数64000t(日本最大の客船「飛鳥Ⅱ」は50000t)
戦死者2740名 生存者269名。

吉田満(1923~1979年) 東京大学から1943年学徒動員(20歳)、1944年海軍電測学校から戦艦大和の副電測士(少尉)として乗艦。1945年戦艦大和の天一号作戦に参戦、奇跡的生き残る。

戦艦大和・・・第一次世界大戦最大の戦艦。建造費は今の金で東海道新幹線の建設費と同程度とかいわれます。同時期に同じ規模で建造された戦艦武蔵の分とあわせるとその倍になります。建造計画は戦争の始まる10年前から、起工したのは戦争の始まる4年前から。第2次世界大戦は大艦巨砲至上主義から空母と艦載機を中心にした機動力作戦に変わっていました。軍艦同士で大砲を撃ち合う海戦はありません。このことは日本が行った艦載機による真珠湾攻撃で立証されています。ミッドウエイ海戦では米軍の機動力の前に徹底的に敗れました。国力を傾けて大艦を建造したとき、それが無駄になっていたという皮肉な話しです。大和艦内で世界の三大無駄・・・ピラミッド、万里の長城。戦艦大和と将校の中で囁かれていたといいます。

天一作戦・・・驚くほかないような大艦巨砲の特攻作戦です。1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸。総兵力548000人、上陸兵力182000人、艦艇1500。作戦は沖縄の救出のため可能な限りに敵戦闘機を戦艦大和に引きつけ撃墜、最後は沖縄本島海岸に座礁上陸、乗組員は上陸して陸戦隊となるという作戦でした。東海道新幹線の建設費に比較される金の掛かったものを自爆させる作戦。しかも乗組員の命約3000人もろともです。いま、これら特攻作戦をお国のためにとか、国体の護持のためにとかいいますが、足し算や引き算しかわからない人間にはどうしてもわかりません。

世界に誇る戦艦大和・・・九州沖を航海するとき陸地は桜が満開だったそうです。「これが日本で見る桜の見納めかと」と乗組員は呟いていたそうです。

海戦は鹿児島県薩摩半島の南端の坊の岬から南に400km、4月7日に始まります。

日本側の戦力は戦艦大和、巡洋艦1隻、駆逐艦8隻、米軍の戦力は空母11隻、艦載機386機。
日本側の損害は・・・巡洋艦1隻、駆逐艦4隻、戦死者3700人、米軍の損害は艦載機10機、死者12人。
空母と艦載機という米機動隊に比べて戦う前から戦略も何もなく戦術も精神力も通用しない作戦というのに値しない戦いです。

吉田満は通信少尉という1パートのスタッフであり、持ち場を守っていただけ。機銃掃射も直撃弾や魚雷の爆裂にもあわなかったのは運だけ。艦内は手足も胴も頭も千切れた死体の山。やがて海中に投げ出され油まみれの海を浮遊物に掴まり漂い駆逐艦から投げ下ろされたロープのネットにつかまります。海の中では体力尽きて沈んでいく仲間を見ます。駆逐艦に上がるとき足にしがみつかれます(芥川龍之介の「くもの糸」の世界です)。生き残ったのは生き残るのだという強い意志があったのではなく単なる偶然、奇跡、僥倖です。

勇ましく軍国主義をたたえる内容でもなく非戦を訴える内容でもありません。
大和の中であったことを自分の経験した範囲で記述しているだけです。

戦争は殺し合いです。
「左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況」が書かれています。

読んだ本は児童書としてリライトされたものですから読みやすいです。長い物語でもありません。
吉田満さんはそのご、日本銀行に入行、軍人としてではなく社会人としてお国のために働きましたが惜しむらくは働き盛りの56歳で他界しました。
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