11月1日・・・いまから125年前(1984年)のこの日、ここ椋神社で3000人の農民が「圧制を転じて良政を・・・」人間が生きていくための最低の要求を掲げて決起集会を起しました。
秩父・下吉田の椋神社(去年の写真)。境内は銀杏の落ち葉でマッ黄色。とうぜん臭いのが落ちていました。今年はぜんぜん落ちていません。軽トラで来たオジサンに聞いたたら落ち葉や銀杏の実を片付けるのがたいへんなので枝を思い切って落としたのこと。
秩父事件の概要・・・秩父観光協会の「吉田支部のホームページ」より。
08年11月20のブログ「秩父路を行く・・・椋神社・・・秩父事件の原点」
無患子(ムクロジ)・・・読めない、解らない・・・学名sapindus mukurossi・・・中国名・無楽子からムクロジに。無患子・・・この実の種子は羽子板の羽根の弾の部分にする。むかし女の子が生まれると羽子板と羽根を買い揃えて無病息災を祈ったといわれます。患わない子・・・コジツケ表記だ
龍勢について。年に1回の発射のため血道を上げ、それを見るための場所割り1区画3000円、ヨソモノのわたしはまったく理解できませんが地元に人にとってそれが伝統というものでしょう。
龍勢について・・・・・Wikipedia「龍勢」 秩父観光協会「吉田支部のホームページ」より
小鹿野の街に回ってから帰ります。
秩父・下吉田の椋神社(去年の写真)。境内は銀杏の落ち葉でマッ黄色。とうぜん臭いのが落ちていました。今年はぜんぜん落ちていません。軽トラで来たオジサンに聞いたたら落ち葉や銀杏の実を片付けるのがたいへんなので枝を思い切って落としたのこと。
境内に中にある秩父事件百年記念の「武装蜂起する青年像」のブロンズ。
秩父事件の概要・・・秩父観光協会の「吉田支部のホームページ」より。
08年11月20のブログ「秩父路を行く・・・椋神社・・・秩父事件の原点」
椋神社の左横の駐車場(標高約200m)から見る城峯山(1037m)、比高800m。ここから約12kmだそうです。
正面の沢は阿熊川、元阿熊村の集落があります。左のほうの山腹に櫓のようなものが見えます。
正面の沢は阿熊川、元阿熊村の集落があります。左のほうの山腹に櫓のようなものが見えます。
上の写真の右側の木。小さな実を生らしています。何の木でしょうか。
幹に名札がつけられています。何と読むのでしょうか。裏に回ると平仮名の名札が。
幹に名札がつけられています。何と読むのでしょうか。裏に回ると平仮名の名札が。
無患子(ムクロジ)・・・読めない、解らない・・・学名sapindus mukurossi・・・中国名・無楽子からムクロジに。無患子・・・この実の種子は羽子板の羽根の弾の部分にする。むかし女の子が生まれると羽子板と羽根を買い揃えて無病息災を祈ったといわれます。患わない子・・・コジツケ表記だ
駐車場から見えた山の中の櫓・・・吉田の名物「龍勢祭り」の龍勢発射台です。
龍勢について。年に1回の発射のため血道を上げ、それを見るための場所割り1区画3000円、ヨソモノのわたしはまったく理解できませんが地元に人にとってそれが伝統というものでしょう。
龍勢について・・・・・Wikipedia「龍勢」 秩父観光協会「吉田支部のホームページ」より
小鹿野の街に回ってから帰ります。
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