比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

中馬の道・・・信濃の国は

2006-08-21 | 信濃の国は 伊那・諏訪
8月11日、「三州街道を行く」で友人の著書『馬宿』について投稿しました。今回はその続きです。
信濃の国は」と書くと、前にコメントをいただきましたが、まさに他県の人には抱腹絶倒の話のネタになります。信州生まれの私でもそう思います。でも地理、歴史、政治、経済何でもアリの不思議な歌です。その「信濃の国は」に

信濃の国は十州に  境つらなる国にして
       聳ゆる山はいや高く  流るる川はいや遠し
  (後略)


この歌は40代以下の人には現代語訳が要ります。「そびゆる」とキーボードで打っても現代文ではそんな活用が無いので転換してくれません。「いや」(漢字では「彌」と書きます)という意味、わかるはずがありません。でも「十州とは」なんてクイズになりそう。話は中馬に戻ります。
近世、なぜ他の国には無い中馬なんて輸送方法が生まれたのでしょうか。聳える山がチョウ高く、必ず峠を越えるしか道はありません。「信州百峠」(井出孫六、市川健夫著、郷土出版社)という本があるくらいです。流れる川は急流で狭窄で舟運ができません。そこで人か馬、牛の背中が輸送手段。経済コストとしてはたいへん効率が悪いのですが仕方がありません。
また五街道の一つ中山道は天下の公道ですから駅馬がいますがマイナーな脇街道には駅馬がほとんどいませんから自家営業(今で言うと白ナンバーの運送屋)の中馬が発生したのでしょう。
そうです。「中馬」とは自営の無認可(後に裁許を受け晴れて緑ナンバーになる)の運送屋、いまの便利屋のようでもあり、しかも遠距離をこなしていたのです。近世の信州の経済活動を支える流通の主人公です。会津西街道(今市、会津若松間)に「中附駑者」というのがありますが同様です。

都筑方冶著『馬宿』(南信州新聞社)は、この中馬と馬方と彼らの泊る宿のことを記した研究書です。既成権益を守ろうとする宿場の駅関係者、問屋衆との主導権争い、揉め事などが詳細に記されいて興味深く、中でも馬宿の隠し部屋で開帳されているバクチでスッテンテンにされる話などはニヤリとさせられます。
しかしながら建築士である著者の専門分野の「馬宿」の構造については地方史の研究だけでなく建築史の研究としてもさすがです。
街道マニアには街道の村々の名前(現在の字名-地籍名)とその様子、峠マニアには峠の様子がありありと記されていて興味をそそられます。


三州街道根羽の旧馬宿     余地峠の旧馬宿

新野の旧馬宿(清水屋)イメージ    清水屋(平面図)

写真は文中より抜粋。この長年のフィールドワークを支えた奥さんの撮影によるもの。イメージ図、平面図は著者の作成。

それにしてもライフワークがあるということは羨ましい。

※コメント欄オープンしています。
・URL無記入のコメントは削除します。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメントありがとうございました。 (和鋼神話ずきさんへ・・・ヒキノ)
2022-01-03 19:17:36
できればコメント投降欄にあるURL乱井URLの記入をお願いいたします。
コメントのお礼ができませんし、一方通行になってしまいますので。

コメントありがとうございました。
返信する
修理固成 (和鋼神話ずき)
2022-01-03 12:31:20
ことしはJR山陰線のあめつちに乗って、安来あたりにあるという古事記の天地創造まつわる観光スポットを訪ねてみたいと思います。
返信する

コメントを投稿