信州塩田平でお盆を過ごしています。ここにはテレビも新聞もありません。あるのはミゴトな五葉松と躑躅と草の生い茂った庭と赤く熟したトマトと甘くやわらかいキビ(トウモロコシ)があるだけです。
ふとラジオに耳を傾けると某首相の某神社参拝のことが報じられています。
その日はこの国の太平洋戦争「敗戦の日」でした。
2年前に沖縄南部の摩文仁の「ひめゆりの塔」をお参りしました。立派な碑があります。むかし私が訪ねたときは碑も柵も献花台もありませんでした。上から覗き込めるガマ(洞窟)の傍に小さなモニュメントがあったような記憶があります。まわりに咲くブーゲンビリヤがまだ心の底に残っています。
・・・・・・献花・・・・・・
いま1冊の本を読んでいます。下嶋哲郎著『平和は「退屈」ですか』(岩波書店)の中からの抜粋です。
・・・・その時声がした。「すげえブスばっか!」「だよねー。昔の女って顔デケー!ダッセー!」振り返ると制服姿の女子学生の一団。引率の若い先生がいた。・・・・ (内舘牧子「週刊朝日」2001/9/7号)
ひめゆり平和祈念資料館の中でガイドさんが死んでいった小女たちの写真を説明しているときの一コマです。なんというガキどもだ!。膨大な犠牲者が遺してくれた平和の中で、なんと情けない心が育ったのでしょうか。「まあ人それぞれですから」なんて言っていられるでしょうか。
園内には真っ赤なデイゴの花が咲いていました。
むかしあるウチナワンチュウから聞いた話です。ヤマトンチュウの画家にはこのデイゴの赤をキャンパスに描くことはできない。死んでいったウチナワンチュウの血の色だから。
この辺りの風景は寺島尚彦「さとうきび畑」の歌そのものです。「ザワワ・・・ザワワ・・・」と風の音が聞こえてきます。この歌の1節に、
あの日、鉄の雨に打たれ 父は死んでいった
夏の日差しの中で
ザワワ ザワワ 広いさとうきび畑
ザワワ ザワワ 風が通りぬけるだけ
「鉄の雨」って凄いと思っていましたが、アメリカ人ベローテ兄弟の著作「Typhoon of Steel」からこう呼び、日本側が「鉄の暴風」と呼称したことからだそうです。
沖縄戦 1945.3.26~6.23
米軍の弾薬量 銃弾750万発 機関銃弾3000万発
手榴弾39万発 砲弾6万発 ロケット砲弾2万発
犠牲者 日本側19万人(うち沖縄県人12万人)
米軍側1万数千人
沖縄県人の犠牲者はこれを上回ると思われる。
(ウイキぺデアより)
美しいエメラルドグリーンの海、さとうきび畑の緑、この風景の中でかって軍国少年、少女たちがお国のためにと信じて鉄の雨の中で死んでいったのです。鬼畜日本軍の存在(ガマからの追い出し、集団自決の教唆、泣き叫ぶ赤子の刺殺などなど)もあったことは語るに忍びないです。私たちはこの負の遺産とどう向き合ったらいいのでしょうか。
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でいごの花の季節に沖縄に行かれたのですね。
沖縄南部に行くと、サトウキビ畑が広がっていて、この自分が踏んでいる土の下に沢山の、遺骨収拾されない戦争犠牲者の人達が眠っているのだと、何とも言葉にならない気持ちでした。
鬼畜米英ではなく、本当に沖縄やアジア諸国の人達にとっては 鬼畜日本軍だと思います。