信州上田の・・・六文銭の写真帳
中山道木曽路の旅・・・塩尻方面から本山宿を過ぎ、JR中央本線「日出塩駅」あたりを過ぎて国道19号線桜沢橋南詰に「是より南 木曽路」の石碑があります。
1940年、本山宿と贄川宿の間の桜沢で茶屋本陣を営んでいた百瀬家が建立したものです。桜沢川は 江戸時代の松本藩と尾張藩の境界線でした。
木曽路がはじまります。
JR東海中央本線「贄川駅」・・・ミニ常夜燈があります。標高870m。
1909年開業、駅舎は旧宿場町だった雰囲気を残しています。1日の乗客108人。
国道19号線・・・このあたりから木曽谷らしいV字谷になります。中山道33番木曽11宿北端の「贄川宿」・・・
家数124、福島関の副関1、本陣1、脇本陣1、旅籠25、宿内人口545。
町並みは昭和初期(1930年)の大火のため、宿場町の面影は残っていません。
復元された贄川番所・・・福島関所の副関・・・入り鉄砲、女改め、木曽五木不正搬出取り締まりの関。福島関と二重の網を張っていました。
1887年明治時代になって廃宿になり解体。古文書を参考に1976年復元したものです・・・板葺石置き屋根はフェイクで鉄板葺きです。
JR東海中央本線「贄川駅」・・・ミニ常夜燈があります。標高870m。
1909年開業、駅舎は旧宿場町だった雰囲気を残しています。1日の乗客108人。
国道19号線・・・このあたりから木曽谷らしいV字谷になります。中山道33番木曽11宿北端の「贄川宿」・・・
家数124、福島関の副関1、本陣1、脇本陣1、旅籠25、宿内人口545。
町並みは昭和初期(1930年)の大火のため、宿場町の面影は残っていません。
復元された贄川番所・・・福島関所の副関・・・入り鉄砲、女改め、木曽五木不正搬出取り締まりの関。福島関と二重の網を張っていました。
1887年明治時代になって廃宿になり解体。古文書を参考に1976年復元したものです・・・板葺石置き屋根はフェイクで鉄板葺きです。
※撮影日は11月26日、
★「贄川」の地名の由来・・・むかし煮えたぎった湯が噴き出す温泉があったいう説。「贄」とは神に対する食物の供え物、奈良井川に遡上してきた鮭、鱒を諏訪大社に献上してきたからという説、があります。※コメント欄オープン。
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