比企の丘

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「苦界浄土」・・・水俣病とともに生きた・・・石牟礼道子さん・・・が亡くなられました

2018-02-11 | 惜別
日本の四大公害の一つといわれる「水俣病」・・・生涯の業として追い続けた・・・石牟礼道子さん・・・が2月10日亡くなられました。90歳。

1950年代、熊本県水俣市の「チッソ水俣工場」が触媒として使用した無機水銀の副生成物であるメチル水銀を含んだ 廃液を不知火海に無処理でタレ流したため水俣市周辺に奇病が発生したことが表面化・・・のちにいう「水俣病」。
この問題を筆で取り上げたのが石牟礼道子さん、第1稿は1960年同人誌「サークル村」に、1965年「熊本風土記」に原題「空と海のあいだで」で書き続けられ、1969年「苦界浄土」として出版。第1回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するも「いま苦しんでおられる患者のことを思うと」と辞退。

・・・白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である。
ことのなりゆきから、死者たちへの後追い心中のごとき運動の渦中にも、出没せねばならない羽目におちいったが・・・
(苦界浄土」旧版文庫版あとがきより・・・1972年)。

苦海浄土わが水俣病」(講談社 1969年刊)
苦海浄土―わが水俣病」(講談社文庫 1972年刊)

石牟礼道子(1927~2018年)・・・熊本県天草の出身、石工である父の仕事で水俣市に。水俣実務学校卒業後、代用教員に。主婦、詩歌を中心に同人誌活動を。1965年、水俣を書きだして半世紀、解説によれば「聞き書きなぞではないし、ルポタージュですらない・・・石牟礼道子の私小説である」と。著者自身もあとがきで「浄瑠璃のごときもの・・・」といっている。
魂の叫び」・・・





毒の列島 身悶えつつも 野辺の花

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足尾銅山の鉱毒、神岡鉱山のイタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、安中亜鉛工場のカドミューム公害、四日市公害、ビキニ環礁水爆実験、チェルノブイリ原発事故、福島原発水素爆発・・・天災ではなく人災と呼ばれる事故・・・これからも孫子の代に続かないとはだれもいえません。

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2 コメント

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きっと・・・・・ (こきおばさん)
2018-02-11 17:05:40
ヒキノの様はきっと書いてくださると確信しておりました。
早速ツイートさせていただきました。
続きもお待ちしております。
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コメントありがとうございます。 (こきおばさんへ・・・)
2018-02-12 19:02:15
できるだけ多くの人に目にしてもらいたい。
2013年の新聞ニュースの切り抜き、テレビニュースの録画をとっておきました。

野鳥のブログで閲覧数が上がっているとき、ついでに見てもらえるだけでも・・と思っています。
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