信州上田の・・・六文銭の写真帳から
信州桜見紀行・・・信州・・・伊那高遠のコヒガンザクラ・・・です。
高遠城址1500本のタカトウコヒガンザクラ・・・駐車場も城址も人人人、諦めてあたりを散歩。
北門のすぐ傍の高遠藩の藩校「進徳館」跡に。幕末の1860年開校、明治維新の8年前です。
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明治時代に入り1873年廃館。13年間でしたが多くの人材を育てました。
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建学の精神が引き継がれ1899年高遠町立高遠実業補習学校が開設され、幾多の変遷を経て1948年県立高遠高等学校が開設されます。
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県立高遠高校は藩校進徳館の「拓世、迫真の実学」の精神をモットーに。
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※撮影日は4月11日。
★藩校・・・江戸時代、各藩が藩士の子弟の教育のために作った学校。領民の子弟にも開放した藩校も。その教育は初等から、中等、漢学、洋学、医学、女子、さまざま。各藩交流の留学、遊学も。最初に開校したのは1662年名古屋藩の明倫塾,1700年代に発展し最盛期255校、それにしても高遠藩の幕末8年前とは遅すぎ。★寺子屋・・・江戸時代の中期から後期、全国で寺子屋が13000~15000、信州では1300余あったといいます。藩士の子弟の教育は私営の寺子屋に任せていたのでしょうか。
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