これからお話しするのは重く辛いホントウの物語です。
昭和16年(1941年)日本国はアメリカを相手に太平洋戦争(大東亜戦争とも)をはじめ、当時アメリカの統治下にあったフィリピンに侵攻します。
物語は日本軍の占領下で起こったある13歳の少女の話です。それからの話しは省略します。語るにしのびません。詳細は0705.20のブログに記しました。
07.05.20 「トマサ・サリノグさんからの手紙」
13歳の少女は時が止まったかのように「負の財産」を心に背負いながら貝のように口を閉ざして半世紀、1992年ようやく政府の呼びかけに名乗り出ます。人権と正義の回復を求めて日本政府を提訴します。提訴は実を結びませんでしたが自分自身の尊厳は失うことなく昨年の4月に78歳の生涯を終えます。
カワイイ顔をしています。支援してくれた日本の人々に感謝していたそうです。
「ロラ・マシン」
マシンおばあちゃん・・・人々は愛情をこめてそう呼びました。
母の形見の1台のミシン。
日本軍の占領下でおきたある出来事、日本軍の敗戦により解放されたあとボロボロの彼女を生きながらえさせたのは何だったのでしょう。
1台のミシンと両親を殺された叔父さんの子供たちを育てること、それが唯一の生きる支えだったのでしょうか。
さてミュージカル「ロラ・マシン物語」です。4月26日大阪クレオ大阪中央から始まり大阪で4回、東京で5回、いよいよ6月8日昼夜2回の公演で終了のようです。約2000席キャパの会場が昼夜とも満席(計4000席)、山梨県人のパワーを感じます(甲州弁でノブイというのかな)。
ミュージカルというものを見たのははじめてです。圧倒されました。舞台はシンプル、黒い舞台に薄明かりの背景、中央に1台のミシン、それ以外に小道具も大道具もありません。
シンプルなセリフ、歌と踊り、それにナレーション(舞台袖で手話)、107人の出演者は小学生からシルバー(後期高齢者?)まで。もちろん商業劇団ではなく皆さんアマチュア、そのへんの普通のオジサン、オバサンのようです。
物語はわたしのイメージどおりの進みます。これはホントの話しです。作りようがありません。それだけに涙がとまりません。2階の上のほうの席でよかったです。
こういう話は公式文書なんかあるはずがありません。あったとしても敗戦と同時に焼き捨てです。被害者側の資料もあるはずがありません。聞き取りにしてもどれだけの人が真実を話してくれるでしょうか。人は暗い過去は貝のように口を閉ざします。被害者が名乗り出ることは勇気以外に何ものでもありません。名乗り出た人を信ずるよりないでしょう。マシンおばあちゃんのことは氷山の一角です。もし自分だったらと考えれば・・・たいへん難しい問題です。「ピー屋」の話は戦争に行ったものなら誰でも知ってるでしょう(それも言いません)。
こういう問題は日本軍だけの問題ではありません。太古からです。アレキサンダーの大遠征、中央アジアにギリシア人の血がいてもおかしくないのです。あとは省略します。戦争は不条理なものです。正義も不正義もありません。こういうことは必ずおきます。こういうことがおきないように、戦わない、戦いのできない世紀にしたいです。
この写真はカーテンコールのあとの退席のころの写真です。お許しください。2階の最上列からフラッシュなし、シャッター音なしで撮りました。
いまも涙目になっています。このミュージカルに参加したキャスト、スタッフの方々、コメントをよせてくれた「はるチャン」[まぁくん」「こんちゃん」「myoshuさん」、ありがとうございました。
昭和16年(1941年)日本国はアメリカを相手に太平洋戦争(大東亜戦争とも)をはじめ、当時アメリカの統治下にあったフィリピンに侵攻します。
物語は日本軍の占領下で起こったある13歳の少女の話です。それからの話しは省略します。語るにしのびません。詳細は0705.20のブログに記しました。
07.05.20 「トマサ・サリノグさんからの手紙」
13歳の少女は時が止まったかのように「負の財産」を心に背負いながら貝のように口を閉ざして半世紀、1992年ようやく政府の呼びかけに名乗り出ます。人権と正義の回復を求めて日本政府を提訴します。提訴は実を結びませんでしたが自分自身の尊厳は失うことなく昨年の4月に78歳の生涯を終えます。
カワイイ顔をしています。支援してくれた日本の人々に感謝していたそうです。
「ロラ・マシン」
マシンおばあちゃん・・・人々は愛情をこめてそう呼びました。
母の形見の1台のミシン。
日本軍の占領下でおきたある出来事、日本軍の敗戦により解放されたあとボロボロの彼女を生きながらえさせたのは何だったのでしょう。
1台のミシンと両親を殺された叔父さんの子供たちを育てること、それが唯一の生きる支えだったのでしょうか。
さてミュージカル「ロラ・マシン物語」です。4月26日大阪クレオ大阪中央から始まり大阪で4回、東京で5回、いよいよ6月8日昼夜2回の公演で終了のようです。約2000席キャパの会場が昼夜とも満席(計4000席)、山梨県人のパワーを感じます(甲州弁でノブイというのかな)。
ミュージカルというものを見たのははじめてです。圧倒されました。舞台はシンプル、黒い舞台に薄明かりの背景、中央に1台のミシン、それ以外に小道具も大道具もありません。
シンプルなセリフ、歌と踊り、それにナレーション(舞台袖で手話)、107人の出演者は小学生からシルバー(後期高齢者?)まで。もちろん商業劇団ではなく皆さんアマチュア、そのへんの普通のオジサン、オバサンのようです。
物語はわたしのイメージどおりの進みます。これはホントの話しです。作りようがありません。それだけに涙がとまりません。2階の上のほうの席でよかったです。
こういう話は公式文書なんかあるはずがありません。あったとしても敗戦と同時に焼き捨てです。被害者側の資料もあるはずがありません。聞き取りにしてもどれだけの人が真実を話してくれるでしょうか。人は暗い過去は貝のように口を閉ざします。被害者が名乗り出ることは勇気以外に何ものでもありません。名乗り出た人を信ずるよりないでしょう。マシンおばあちゃんのことは氷山の一角です。もし自分だったらと考えれば・・・たいへん難しい問題です。「ピー屋」の話は戦争に行ったものなら誰でも知ってるでしょう(それも言いません)。
こういう問題は日本軍だけの問題ではありません。太古からです。アレキサンダーの大遠征、中央アジアにギリシア人の血がいてもおかしくないのです。あとは省略します。戦争は不条理なものです。正義も不正義もありません。こういうことは必ずおきます。こういうことがおきないように、戦わない、戦いのできない世紀にしたいです。
思いがこめられた107人の大合唱、大群舞。
この写真はカーテンコールのあとの退席のころの写真です。お許しください。2階の最上列からフラッシュなし、シャッター音なしで撮りました。
いまも涙目になっています。このミュージカルに参加したキャスト、スタッフの方々、コメントをよせてくれた「はるチャン」[まぁくん」「こんちゃん」「myoshuさん」、ありがとうございました。
※コメント欄オープンしています。
「平和への歩み」のこれは1歩にすぎません。ミュージカルはあくまで手段で目的ではないのです。さぁ、次は何をしなければならないのか。一休みしている暇はありません。改憲そして「戦争への歩み」は私たち以上にしたたかに着実に歩を進めているに違いないのですから。
同じ演目に取り組んだ者として観にきてくださったことはとても嬉しいことです
当日は会場整備のお手伝いをしたいたのですが本当に多くも方が来場してくださいました
今回のミュージカルを通じて多くの方に憲法9条について考えてほしいと思いました
我々が多くのスタッフのご協力をいただきながら創り上げたステージをご覧いただいて、少しでも何かを感じ取っていただければ幸いです。
そして、何より感謝したいのが「はる」からの呼びかけに対して、真摯に向き合い応えていただいたことです。
公演前、本人に「ヒキノムラビトさんが観に来てくれることになったんだよ。」という話をしましたら、半分照れ泣きしながら「私がんばる!」と力強く言ってくれました。
彼女のこれからの成長にとって、大きな糧となったのは言うまでもありません。
本当にありがとうございました。
素晴らしい自然、環境を守ること、この平和ボケが続くこと、旧日本帝国が中国や東南アジアで行った侵略行為、そのために起こった悲劇、そんなことを繰り返さないように、静かに静かに普通の人に訴えていく、難しいけれど大事なことです。
皆さんの熱気でしょう。
大阪で4回も公演したとは知りませんでした。キャストの人たち、裏方の人たち、これを機縁にまた新しい道に頑張ってください。
中央のメディアは沈黙ですが、そんなことはどうでもいいです。
ある日の新聞記事の切抜きから始まった私の「トマサ・サリノグさん」は終わったのでしょうか。これで終わらずにメッセージを続けていきたい。そんな気持ちです。
平和を訴えるには強い叫びはいりません。静かに静かに地道に訴えていってください。
私も友人が出ていて、このミュージカルを知ったわけですが、世界に多くの日本の性奴隷として傷つけられた女性がいることは心が痛みます。
戦争・紛争の場面で、多くの女性に対する暴力が行われることは悲しい限りですが、それを防ぐためにも平和を維持し続けること、非暴力であることに積極的な努力をしなくてはならないように思います。
静かなメッセージが多くの人に届く。
これからもよろしくお願いします。