比企の丘

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日本の・・浜松餃子・・・です

2018-10-06 | 美味しいブログ ソト飯、弁当、駅弁
紀元前6世紀に山東省で発祥したといわれ遺跡からその痕跡が見られ、唐代(日本のでいえば大和時代のころ)の敦煌で副葬品の中で発見されたそうです。そんな餃子がシルクロードを伝わり、モンゴルのユーラシア大陸征服により広まっていきました。粉もの食文化です。

日本の餃子です。いつのまにか日本の代表的なオカズになりました。
※撮影日は8月27日。石松JR浜松駅店にて

餃子・・・江戸時代にはすでに日本に入っていたといいますが、普通の人が町食堂で食べるようになったのはあの戦争が終わった1945年以降、満蒙の国からの引揚者が食堂を開いて満蒙の国の普通のオカズの茹で餃子を焼いてメニューにのせたといわれます。元祖は全国各地、諸説あります。満蒙で生活した人は誰でも作れたようですから特別な技術を要する料理じゃないようです。やがて既製品の皮(生地)がスーパーで売られるようになり普通の家庭料理になりました。
わたしの餃子とのはじめての出逢い・・・東京の土を踏んでから。新宿駅南口甲州街道を追分方面に降りてきたあたり、先輩に連れられて行った「石の家」という10人も座れないカウンターだけの店、ほかに比べることのできない食べ物、世の中にこんな美味いものがあるかと思いました。


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6 コメント

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餃子 (こきおばさん)
2018-10-06 07:15:23
旧満州では、現地の人たちは餃子は主食のようなものでした。小さなのし棒で起用に皮を作っていた現地の人が、家にもいて、作っている様子をよく見ていたものでした。
あちらではほとんど茹でて食べていたと思います。
焼くようになったのは戦後、日本に帰ってきた人たちが考案したのかもしれません。

餃子とポーズ(肉まん)は子どもの頃はおやつでした。
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我が家の食卓に、デデデデ・・・・・出ました、芸術品!? (縄文人)
2018-10-06 08:03:22

昨夜のことでした。
これ、芸術品をお皿に載せました!!
但し書きで、これはその辺にあるのとちょいと違って、ピカソが書いたような餃子です。…と。

見ると、中の具は、グチャグチャにはみ出し、
皮と具が混ざって、餃子の形をしていなかった。
見事にも変形して、餃子の形を整えていなかった。

料理の内容を聞くと、フライパン、テフロンがもう傷んで用をなさないと言い訳をしていました。

    ・ 餃子見てアッツト驚く為五郎  (縄)

若い時東京の
餃子や、味噌ラーメン・お刺身を食べた時、
山出し人間には、想像もつかぬ為五郎節で一杯でした。

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餃子 (もののはじめのiina)
2018-10-06 09:40:45
餃子は、ビールによくあいます。
飲まないと決めた日でも、餃子ならを呑みます。つまみだけでなく、オカズになります。
5月に宇都宮に行ったときに、餃子専門店で食べました。^^

こどものころは、母が具を包んでいるのを見て、兄弟で手伝っていました。いまは、食べるだけです・・・。感謝!

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初めての餃子 (こきおばさんへ・・・)
2018-10-07 08:24:03
新宿の小さな店でたべたこと今でも覚えています。
満州帰りの人に作り方を聞いたことがあります。野菜は何でもイイといってました。
ポーズ・・・復員の先生が、収容所で中国人の子どもにポーズを分けてもらったこと、思い出として話してくれました。

コメントありがとうございました。
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餃子、湯麺 (縄文人さんへ・・・)
2018-10-07 08:37:36
初めての都会の味、それに白乾児(パイカル)なんていうわけのわからない酒がありました。

   ・熱燗と 熱々餃子 路地の夜
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餃子は (もののはじめのiinaさんへ・・・)
2018-10-07 08:43:28
満州引揚者の持ち帰った食文化・・・いまでは知らない人のほうが多いでしょうね。
宇都宮餃子は満州帰りの兵隊さんがはじめた商売からだそうですね。
わが家では週一くらいの家庭の味です。

コメントありがとうございました。
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