4月13日、南信州の飯田市に行ってきました。
JR東海の飯田線主要駅の一つ「飯田駅」です。1923年開業、飯田市の木・・・リンゴをイメージした赤い屋根の駅舎は1992年新装改築したもの。JR飯田線「豊橋駅」との間を往復するワイドビュー特急「伊那路」、JR飯田線、中央本線「岡谷駅」経由で篠ノ井線、信越本線「長野駅」の間を往復する快速「みすず」の発着駅。1日の乗客数1000人弱。
飯田市・・・人口102000人、長野県で4番目の100000人を上回る自治体。江戸時代は飯田藩20000石、戦災も免れ、城下町の面影を残した町並みは小京都と呼ばれたが1947年の大火で古い町並みは灰燼に帰した。
赤石山脈、木曽山脈に挟まれた伊那の谷間、天竜川の沖積平野から段丘を一段上がった美しい田舎街です。
※風越山・・・正式呼称は「かざこしやま」だが地域の学校名、行事名、資料、商品名などは「ふうえつざん」と表音することが多い。1924年旧制県立飯田高女が新制の県立風越高校(ふうえつ)と呼称してからという。地元の人は権現山と呼ぶ。これは麓の滝ノ沢に白山社里宮、頂上直下に白山社奥宮(ご本尊は白山妙理大権現)があるから。奥宮の本殿(1509年)、拝殿(1731年)は国の重要文化財、随神門(1775年)は市指定の重要文化財。
何度もいっしょに権現山に登ったり、木曽駒山系、赤石山系の山に登ったり、東京では下宿をホームシュアしたりしたS君を偲び旧友数人で権現山の麓のS君宅を訪れ奥さんの出してくれたアルバムなど見ながらバカばなしをしました。
JR東海の飯田線主要駅の一つ「飯田駅」です。1923年開業、飯田市の木・・・リンゴをイメージした赤い屋根の駅舎は1992年新装改築したもの。JR飯田線「豊橋駅」との間を往復するワイドビュー特急「伊那路」、JR飯田線、中央本線「岡谷駅」経由で篠ノ井線、信越本線「長野駅」の間を往復する快速「みすず」の発着駅。1日の乗客数1000人弱。
飯田市・・・人口102000人、長野県で4番目の100000人を上回る自治体。江戸時代は飯田藩20000石、戦災も免れ、城下町の面影を残した町並みは小京都と呼ばれたが1947年の大火で古い町並みは灰燼に帰した。
赤石山脈、木曽山脈に挟まれた伊那の谷間、天竜川の沖積平野から段丘を一段上がった美しい田舎街です。
風越山(1535m)・・・通称権現山の麓の滝ノ沢のあたりは雨に霞んでいた。
桃畑のモモの花が満開・・・年数を経た手入れのイイ桃の木が何10本・・・桃源郷です。
飯田市滝ノ沢・・・風越山(権現山)の麓のあたり、山桜、竹藪。
桃畑のモモの花が満開・・・年数を経た手入れのイイ桃の木が何10本・・・桃源郷です。
飯田市滝ノ沢・・・風越山(権現山)の麓のあたり、山桜、竹藪。
※風越山・・・正式呼称は「かざこしやま」だが地域の学校名、行事名、資料、商品名などは「ふうえつざん」と表音することが多い。1924年旧制県立飯田高女が新制の県立風越高校(ふうえつ)と呼称してからという。地元の人は権現山と呼ぶ。これは麓の滝ノ沢に白山社里宮、頂上直下に白山社奥宮(ご本尊は白山妙理大権現)があるから。奥宮の本殿(1509年)、拝殿(1731年)は国の重要文化財、随神門(1775年)は市指定の重要文化財。
何度もいっしょに権現山に登ったり、木曽駒山系、赤石山系の山に登ったり、東京では下宿をホームシュアしたりしたS君を偲び旧友数人で権現山の麓のS君宅を訪れ奥さんの出してくれたアルバムなど見ながらバカばなしをしました。
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