比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

「海の京都・丹後」へ・・・かつての軍港、敗戦時の引揚船の・・・舞鶴港

2016-02-11 | 道をゆく 近畿
彩風人・・・2015年12月、近江から若狭・丹後への紀行文です。しばらく間を置きましたが再開します。
旅の始まりは新幹線米原駅からJR東海道本線琵琶湖線で彦根・・・そして越前若狭へ・・・でした。
今回は若狭から「海の京都・丹後」への旅です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)

舞鶴東港、前島埠頭フェリーターミナル

クレインブリッジ(鶴の橋)・・・舞鶴湾の奥、北東部の平湾に1999年に架けられた全長735mの斜張橋。
関西電力舞鶴火力発電所の工事用道路として建設され後に市道に。

岩壁の母」の港「舞鶴」・・・1945年8月、日本が戦争に負けた年、海外に軍人・軍属、民間人合わせて660万人が残留していたといわれます。GHQ(連合軍総司令部)の指示により博多、鹿児島から浦賀、函館まで11カ所の港に引揚援護局が設置され本土への引揚がはじまります。舞鶴港では1945年から1958年までの13年間、66万4531人(うちソ連から45万5952人)が上陸しました。シベリア抑留者の引揚船がここ舞鶴に入港したことは知らなくても二葉百合子が歌う演歌「岩壁の母」を知ってる人は多いのではないでしょうか。「岩壁の母」のモデル端野いせさんのお話しは割愛。
ちなみに引揚船が入港した桟橋はクレインブリッジの東側の平桟橋、1988年舞鶴引揚記念館、記念公園が開設。


前島埠頭のあたりから東側を見ています。遠くに東舞鶴医誠会病院。
※撮影日は2015年12月15日。カメラはFUJIFIRM X-T10。
 
どうでもいい話丹後・・・都から見て丹波国の後方だから丹後。いまの京都府の主に海に面した地域の律令時代の国名です。ちなみに丹波国とは京都、大阪、兵庫に跨る中国山地の中をいい、「谷端」(谷の端の盆地)、「田庭」(広々とした沖積平地)と文献にあり、後者が有力だそうだが、地図(航空写真)で見るととても広々とした平地には見えない。むかしの人には広々とした盆地に見えたのであろうか。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿