信州上田の・・・六文銭の写真帳
昨年の晩秋の京都ツアーの旅・・・京都の秋は遅い、紅葉の時期は11月終りごろから。イイ旅でした。
絣の着物に帯を前で結び,脚絆に草鞋ばきといういでたちで,薪、野菜、花などを頭に乗せて京の町へ物売りに来る大原女(おはらめ)で有名な京都大原・・・です。
かつては山城国大原村・・・いまは京都市左京区大原・・・京都の北東、京都駅から約20㎞、国道367号線(旧若狭街道、鯖街道)に沿った純農村。
「里の駅 大原」があって野菜直売所では京野菜を販売しています。
「京都大原三千院・・・」永六輔作詞の「女ひとり」の歌碑。
※永六輔作詞、いずみたく作曲で1965年から1969年にかけて作られたデュークエイセスが歌った「にほんのうた」シリーズの内の一曲。
美しい日本の農村・・・そのものの・・・大原の里です。
※永六輔作詞、いずみたく作曲で1965年から1969年にかけて作られたデュークエイセスが歌った「にほんのうた」シリーズの内の一曲。
美しい日本の農村・・・そのものの・・・大原の里です。
※撮影は2017年12月1日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。
大原の里の三千院の対角線上、西の谷間にある「寂光院」・・・開祖は推古天皇の時代、聖徳太子が父の菩提を弔うためとか、空海開基説とか、諸説ありますが不明です。本堂は淀君の命により17世紀初めに再建、2000年放火により焼失、2005年再建立。
1185年平清盛の娘、高倉天皇の中宮の徳子が、檀ノ浦の合戦でわが子安徳天皇を抱いた侍女とともに入水、助けられて、余生を建礼門院(尼)となってこの寺で過ごしたとか。栄枯盛衰・・・平家物語の世界です。
※写真は2003年9月に訪れたときのもの。再建工事中、境内には寂光院のミニチュアがありました。
※京都市では1930年風致地区の指定を行い,1960年には京都市風致地区条例を制定、大原はその風致保全区域に指定された地域です。
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