比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州埴科郷・・・古代の繁栄を語る・・・森将軍塚を尋ねた

2017-04-23 | 古墳・遺跡・石塔婆
2017年3月22日、千曲市森の森将軍塚古墳を尋ねました。
森将軍塚?・・・森さんという将軍様のお墓のことではありません。
あんずの里」で有名な千曲市森という地籍(むかし埴科郡森村→屋代町→更埴市)にある4世紀中ごろに造られたといわれる古墳です。
森地籍にあるたぶん将軍のような偉い人の古いお墓・・・ということで森将軍塚と呼ばれるようになったようです。

※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・


長野県立歴史館(標高360m)あたりから見た森将軍塚古墳(標高544m)です。
長野方面からの北陸新幹線、上信越自動車道が有明山トンネルに入るあたりで車窓から見える風景です。

比高130mを20分くらいかけて登ってくるとこんな景色が広がってきます。

全長100mの前方後円墳です。1981年から11年の年月をかけて1992年に復元完成したものです。

全長100m、後円の直径50m、高さ11m、前方の幅30m、長さ41m、高さ4m。
積石塚(葺石)の再現です・・・すべて推測の上に復元(復原?)・・・この山で採れた石英斑岩を組み合わせた野面積。

森将軍塚から見た善光寺平、雪をいただいた山は飯縄山
古代・・・この地の支配者は・・・千曲川流域を望むこの山の上で・・・
何を思い・・・何を語った・・・であろうか・・・
※撮影は3月22日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
この古墳は1965年採石場として開発がはじまったころ、この周辺の小古墳が崩される状態となり、1970年保存対策協議会が発足、住民の署名、地権者の協力などもあり1971年国指定史跡に。発掘調査後に1981年復元工事が開始。1992年完成後は長野県立歴史館(1994年開館)、千曲市立森将軍塚古墳館(1987年開館)、弥生時代復元住居跡など含めて「科野の里歴史公園」として整備。副葬品は全国どこの古墳と同じように盗掘、乱掘によりほとんどなかったようですが埴輪、鏡片、鉄剣などが出土したようです。以後、この周辺の有明山将軍塚、倉科将軍塚、土口将軍塚が国指定史跡に加えられ埴科古墳群と呼ばれるように。小さな円形古墳、方形古墳は数えきれないほどあるようです。



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