石の巻 サーヨー 其の名も高い (ハ コリャコリャ)
日和山とエー アレワエーエ エトソーリャ 大漁だエー・・・・・(斎太郎節)
11月9日、石巻です。まずは高いところから街を俯瞰してみるのがいちばんわかりやすいと日和山(ひよりやま・海抜55m)に上がりました。ここは鹿島神社が祀られています(なぜ鹿島かというのは省略)。
ここもまた日本各地から訪れている方が多くいらっしゃいました。
展望台の片隅で双眼鏡を構えている地元のかたと少しお話しました。「わざわざおいでくださいまして」といってくださったのが胸を痛めました。
何事もなかったような松島から東松島市に入りますと様相が一変しました。東松島市矢本は航空自衛隊松島基地のある街です。JR仙石線は松島の高城町駅からはズタズタに分断されています。家内の友人の子どもさんは松島航空隊にいて家財家具すべてを失ったそうです。
石巻・・・青年のころこの街の出身の友だちのお宅に泊めていただきドンブリいっぱい生牡蠣を出していただいたのを思い出します。牡鹿半島の先端、鮎川まで行きました。
日和山・・・全国に11箇所、海を見下ろす場所にあり海の日和を見るための物見の山。
旧北上川・・・岩手県北部を源とする249kmの大河。江戸初期、伊達政宗の時代に川村孫兵衛が中流域で3つの河川を一本化
《追伸》津波の高さ・・・東松島市10.4m、石巻市5.8m、女川町17.6m、雄勝町16.7m、死者・行方不明者・・・東松島市1145名、石巻市3927名、女川町975名。
南三陸町、気仙沼市に行ってみます。
日和山とエー アレワエーエ エトソーリャ 大漁だエー・・・・・(斎太郎節)
11月9日、石巻です。まずは高いところから街を俯瞰してみるのがいちばんわかりやすいと日和山(ひよりやま・海抜55m)に上がりました。ここは鹿島神社が祀られています(なぜ鹿島かというのは省略)。
ここもまた日本各地から訪れている方が多くいらっしゃいました。
展望台の片隅で双眼鏡を構えている地元のかたと少しお話しました。「わざわざおいでくださいまして」といってくださったのが胸を痛めました。
日和山から南の方向を見ています。門脇町、南浜町、ここは市街地だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/3d/4a06a67a7e3778ae692cac83137d19a7.jpg)
旧北上川河口。右岸に残った大きな建物は市立病院?津波は2階を通過したそうです。
日和大橋を渡った左岸に。石巻港、石巻漁港、水産物卸売市場がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0d/e42ea8f3fd60279404f6c13b19661502.jpg)
上の写真の中央下の建物。中の状態はわかりませんが奇跡のように残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/f0/e849b7048b0b8a4d0acedc31a1b2e4fb.jpg)
上の写真の右、西光寺というお寺の本堂が残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/33/35367c579290fa422d632345e9d2034d.jpg)
日和山の上から市民病院、西光寺を見ています。
震災直後、流された自動車からガソリンが流失、あたり一面は火の海になったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/97/713262df6e1b5d0374a0089ca245e9a6.jpg)
日和山の東の裾。津波の水位がわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/21/44a5566fc8bdc66fd699d9544b476959.jpg)
旧北上川の左岸。造船所?の後ろに瓦礫の山が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/1e/68c9cc0d6a41f60f65bd35566b2f18bd.jpg)
日和山から旧北上川の右岸。仙石線石巻駅あたり・・・中心部です。
日和山が壁になり津波の力はなかったようですが水位の上昇は床上浸水に及んだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/ab/6a0bfeee1391f7ae67569fdd84ddf197.jpg)
日和山から旧北上川の中洲(中瀬)、内海橋、その上流に見えるのは石巻大橋。
内海橋の欄干に津波に押し上げられた浮遊物がドカンドカンとぶっつかったそうです。
中瀬にはわずかな建物のみで何も残っていません。瓦礫は綺麗に片付けられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a1/4d4bb2ff8ed54a65cf3e9f5cce899c70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/3d/4a06a67a7e3778ae692cac83137d19a7.jpg)
旧北上川河口。右岸に残った大きな建物は市立病院?津波は2階を通過したそうです。
日和大橋を渡った左岸に。石巻港、石巻漁港、水産物卸売市場がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0d/e42ea8f3fd60279404f6c13b19661502.jpg)
上の写真の中央下の建物。中の状態はわかりませんが奇跡のように残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/f0/e849b7048b0b8a4d0acedc31a1b2e4fb.jpg)
上の写真の右、西光寺というお寺の本堂が残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/33/35367c579290fa422d632345e9d2034d.jpg)
日和山の上から市民病院、西光寺を見ています。
震災直後、流された自動車からガソリンが流失、あたり一面は火の海になったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/97/713262df6e1b5d0374a0089ca245e9a6.jpg)
日和山の東の裾。津波の水位がわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/21/44a5566fc8bdc66fd699d9544b476959.jpg)
旧北上川の左岸。造船所?の後ろに瓦礫の山が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/1e/68c9cc0d6a41f60f65bd35566b2f18bd.jpg)
日和山から旧北上川の右岸。仙石線石巻駅あたり・・・中心部です。
日和山が壁になり津波の力はなかったようですが水位の上昇は床上浸水に及んだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/ab/6a0bfeee1391f7ae67569fdd84ddf197.jpg)
日和山から旧北上川の中洲(中瀬)、内海橋、その上流に見えるのは石巻大橋。
内海橋の欄干に津波に押し上げられた浮遊物がドカンドカンとぶっつかったそうです。
中瀬にはわずかな建物のみで何も残っていません。瓦礫は綺麗に片付けられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a1/4d4bb2ff8ed54a65cf3e9f5cce899c70.jpg)
中瀬に見える丸いドームは漫画家石巻章太郎の萬画館。
石ノ森章太郎・・・1938~1998年、石巻に近い石森町(現登米市)出身の漫画家(萬画と唱えた)。
サイボーク009、HOTELの作者。特撮テレビドラマの仮面ライダー、秘密戦隊ゴレンジャーの現作者といったほうがわかりがいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/34/ef10f73bf5afbc61d7fab076e53f1e9b.jpg)
石ノ森章太郎・・・1938~1998年、石巻に近い石森町(現登米市)出身の漫画家(萬画と唱えた)。
サイボーク009、HOTELの作者。特撮テレビドラマの仮面ライダー、秘密戦隊ゴレンジャーの現作者といったほうがわかりがいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/34/ef10f73bf5afbc61d7fab076e53f1e9b.jpg)
何事もなかったような松島から東松島市に入りますと様相が一変しました。東松島市矢本は航空自衛隊松島基地のある街です。JR仙石線は松島の高城町駅からはズタズタに分断されています。家内の友人の子どもさんは松島航空隊にいて家財家具すべてを失ったそうです。
石巻・・・青年のころこの街の出身の友だちのお宅に泊めていただきドンブリいっぱい生牡蠣を出していただいたのを思い出します。牡鹿半島の先端、鮎川まで行きました。
日和山・・・全国に11箇所、海を見下ろす場所にあり海の日和を見るための物見の山。
旧北上川・・・岩手県北部を源とする249kmの大河。江戸初期、伊達政宗の時代に川村孫兵衛が中流域で3つの河川を一本化
《追伸》津波の高さ・・・東松島市10.4m、石巻市5.8m、女川町17.6m、雄勝町16.7m、死者・行方不明者・・・東松島市1145名、石巻市3927名、女川町975名。
南三陸町、気仙沼市に行ってみます。
しばらく見ていたら、こんな言葉になってしまった。
☆ 遠望を 景愕然と 胸痛む
ただただ、早い復興を!!
自然の恐ろしさを感じましたが奇跡的と言いますか家が残っているのにも感激です。
実際に見た風景の写真と言葉は、重く確実に伝わってきます。
自分の目で見ることの大事さを感じています。
浜岡原発もそうでした。
情景・・・もう 悲しすぎる・・・・
最近 募金箱も 目立たなくなってる
悲しいなあ~です
見る影もありません。水揚げセリ卸売り市場は鉄骨ごと崩壊したそうです。
目の前に見える街は火の海だったそうです。
☆鯨泳ぐ 石巻の海 金華山
水産加工の街でもあります。特に金華山沖の黄金鯖のサバ缶は絶品だそうです。
殆ど復興していないよう。
あまりに被害が多すぎてどこから手を付ければよいか、悲しすぎますね
私は数十年ぶりの訪問です。
懐かしい日和山から海の方向の町を見ました。6mの津波がこの山の麓まで家を押し流して来たそうです。頑丈な病院も2階まで浸水、避難所のコンクリート造りの小学校は運動場の車が押し流されガソリンが引火、校舎は火災になったそうです。
それでも放射能さえなければ、人のヤル気で再興できると思います。
リンクしたブログは3月の震災直後の光景を生々しく伝えています。
天災ですから必ず復興します。
人災・・・前の日に通った阿武隈の山の中の福島市大波の米のセシウム、伊達のあんぽ柿の廃棄、・・・復興は絶望的です。
思いのほか町は瓦礫が片付けられています。ボランティアもかなり行ったそうです。
がんばれ石巻。
あの有名な民謡の、日和山からの眺められた景色ですか…。
斎太郎節に歌われているような、活気ある街に戻るには
相当の年月を要すると思いますが、
少しでも早い復興を、唯々祈るばかりです。
マスコミ等の視点とは一味違う、ヒキノさんの記事を
説明も含めて、興味深く拝見させて頂きました。
(へな爺)