比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州・須坂・・・米子の大瀑布・・・米子硫黄鉱山跡

2009-11-21 | 川と滝と湖と海と橋の風景
米子の大瀑布・・・米子川を右岸に渡って高台に上っていくと全貌が見えてきます。

海抜1430m地点のフォトポイント。左は権現滝75m、右に不動滝85m、さらに右にほとんど水が流れていない黒滝90m。滝の下は滝山館、その陰に隠れて真言宗豊山派不動寺奥の院、この寺は水行を行う霊場でありかつては宿坊もあったようです。滝山館は宿泊もできるようですが人の気配もなく詳しくはわかりません。


数年前、義兄が撮った紅葉のときの写真です。

造成したような道を通って東屋のある展望台に向かいます。

不動滝の下の渓流瀑のアップ。

さらに登ってくると小さな学校のグランドみたいな空き地があります。まるで宅地造成地のようです。現在地からの登山道の案内板です。左の山を登り滝の上を行けば根子岳(2128m)。浦倉山(2091m)を越えれば嬬恋スキー場。尾根伝いに四阿山(2354m)方面にも行けます。

造成地に見ええたこの広場は江戸時代からの硫黄鉱山でした。
米子硫黄鉱山跡・・・江戸時代初期1630年代に採掘が始まったようですが、たしかなことはわかりません。享保年間(1716~1735年)に竹前権兵衛が硫黄を幕府に売りその資力で新潟県紫雲寺(現新発田市)に米子新田を開いたという記録があるようです。明治時代に入り1898年竹前家から須坂硫黄会社に、そのごいくどか所有者が変わり1934年中外鉱業に、戦争中は火薬の原料としての需要が多く最盛期は月産1200㌧、1500人が居住、須坂駅まで14kmの索道(ロープウエイ)、学校、診療所、浴場、映画館まであったそうです。1973年閉山。物資の輸送は索道で行われ、それで砂防堰堤などに必要なセメントなど土木資材が運ばれたのでしょうか。いつごろ開通されたかわかりませんが自動車道も観光用駐車場の手前からここまで通っています(閉鎖中)。

数年前に姉が来たときの写真。硫黄原石の横でオカリナを吹いています。


東屋のある展望台1480m地点。学校跡のようです。

なんとも不思議な風景です。Ⅴ字谷の奥に突然開けた落差100mの柱状節理の断崖絶壁、400年のときを刻んだ硫黄鉱山跡。四阿火山のカルデラの中の滝。日本の滝百選の中の一つだそうです。

東屋の前の小さな道を比高200mのジグザグ直降。駐車場には10台近い車が。11時30分、2時間ぐらいのブラリ歩き。
お昼どこにしよう


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