比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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今から70年前・・・彩の国・・・熊谷に・・・太平洋戦争最後の大空襲があった

2015-08-14 | 語り継ぐ責任 あの戦争
1945年8月15日は・・・埼玉県熊谷市が・・・米軍の爆撃機B-29の編隊89機により大空襲された日です。
太平洋戦争の最後の日の熊谷大空襲・・・埼玉県内最大の熊谷大空襲・・・終戦前夜未明の熊谷大空襲・・・と呼ばれます。
8月15日は、日本がポツダム宣言を受けいれて天皇が正午に「終戦の詔勅」を全国民にラジオで放送した日。その10時間前のことです。

終戦記念日の日の70年前、天皇の「終戦の詔勅」が放送されていたころ熊谷は火の海は収まっていたようですが余燼でくすぶっていたそうです。
死者266人(市街地234人、ほかは周辺地区)、負傷者3000人。罹災者15390人、焼失家屋3630戸。

※画像は埼玉テレビ放映のニュース番組から。

非戦闘区域の爆撃か、軍需産業拠点への爆撃か・・・わたしにはワカリマセン。
米軍は群馬県太田市に本拠を置く中島飛行機の下請け会社、部品を作る家内工業の町として位置づけていたのでしょうか。
爆撃機の中でパイロットたちは日本の降伏をニュースで知っていたそうですが・・・攻撃中止の命令は受け取ることがなかったそうです。

右も左も、戦争を肯定する者も否定する者も、神を信ずる者も信じない者も、お国のためにと思って戦っていても相手もお国のためにと思って戦っているのですから、戦争は殺し合いです。


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2 コメント

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そうだったのですか (こきおばさん)
2015-08-17 11:18:37
日本の敗戦が決まっているその日、8月15日に!
空襲があったなんて知りませんでした。
今年は戦後70年ということもあり、戦争に関する報道がいつもの年以上にあり、戦争に対する知識が大勢に人たちに伝えられたことは良かったと思います。
これも今、戦争前夜のような状態にあるからさすがのマスコミも報道しないではいられなかったのかも知れません。
どう言い訳しても戦争は所詮人殺しであり、殺し合いでしかないのです。
70年前より兵器が威力を増した分、大量の人殺しが起きることは火を見るより明らかです。

一連の記事ツイーとさせていただきました。
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日本本土空襲 (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2015-08-17 15:48:18
米軍はあらゆる年を攻撃目標に計画していたようです。
7月6日夜の甲府空襲死者740人、不明35人、重傷者1246人、8月13日、大月、下吉田にも空襲、死者54人、重傷者48人、8月13日長野市死者47人。
無条件降伏の日までy続きました。
甲府も大月も長野も軍需産業など縁の無い田舎町です。
無差別爆撃ですが戦争とはそういうものです。

今、アメリカと日本は同盟国と位置付けている人がいますが、永久中立がいちばんです。
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