今回の「美しい日本の滝シリーズ」は季節外れですがメルヘン街道麦草峠下の横谷渓谷「乙女の滝」で〆です。
メルヘン街道(国道299号線)・・・麦草峠(標高2127m)を茅野市蓼科中央高原方面に下って行く道に添うように並行して流れ落ちる横谷渓谷(諏訪湖流入河川上川水系渋川)、4つの滝を巡る散策コースがあります。
※坂本養川(1836~1809年)・・・諏訪の山浦地区(八ヶ岳西南麓)の田沢村(現茅野市)に生まれ23歳のときより名主を務める。31~35歳のとき江戸河川規矩指南所で農業土木設計技術を学び、関東、近畿で水廻しの実態を調査、帰郷して諏訪高島藩にせぎの開発を1775年請願、11年後の1785年開発計画は実行に移され、以後15年間にわたり15のせぎが開削、300㌶の新田開発をもたらしました。坂本養川は帯刀を許され、晩年には諏訪高島藩士格に取りたてられます。
※せぎ・・・堰の諏訪地方方言。水利用目的で川、湖水の水を堰き止めるために設けられた構造物。
《参考サイト》
坂本養川(さかもと・ようせん)の繰越堰開発(長野県)
長野県 諏訪地方の繰越堰を拓いた坂本養川(農林水産省)
※今日はに比企の丘からのブログをギャラリーとして開放。
彩の旅人さんの素晴らしい写真を展示します。
彩の国比企の郷の・・・「彩の旅人」の写真帳・・・
彩の旅人さんの素晴らしい写真を展示します。
彩の国比企の郷の・・・「彩の旅人」の写真帳・・・
メルヘン街道(国道299号線)・・・麦草峠(標高2127m)を茅野市蓼科中央高原方面に下って行く道に添うように並行して流れ落ちる横谷渓谷(諏訪湖流入河川上川水系渋川)、4つの滝を巡る散策コースがあります。
その滝の一つの「乙女の滝」(落差20m)・・・です。
実は200数十年前、江戸中期に坂本養川という人によって新田開発のために開削された導水路です。
実は200数十年前、江戸中期に坂本養川という人によって新田開発のために開削された導水路です。
(撮影は2014年8月夏の盛り、紅葉の今はまた素晴らしいでしょうね)
※坂本養川(1836~1809年)・・・諏訪の山浦地区(八ヶ岳西南麓)の田沢村(現茅野市)に生まれ23歳のときより名主を務める。31~35歳のとき江戸河川規矩指南所で農業土木設計技術を学び、関東、近畿で水廻しの実態を調査、帰郷して諏訪高島藩にせぎの開発を1775年請願、11年後の1785年開発計画は実行に移され、以後15年間にわたり15のせぎが開削、300㌶の新田開発をもたらしました。坂本養川は帯刀を許され、晩年には諏訪高島藩士格に取りたてられます。
※せぎ・・・堰の諏訪地方方言。水利用目的で川、湖水の水を堰き止めるために設けられた構造物。
《参考サイト》
坂本養川(さかもと・ようせん)の繰越堰開発(長野県)
長野県 諏訪地方の繰越堰を拓いた坂本養川(農林水産省)
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