椋神社のオオカミ様です。鳥居の横に阿吽の狼がいます。秩父地方の狼伝説・・・は下記に。
椋神社の本殿・・・今から130年前の1884年11月1日、ここ椋神社の境内で秩父困民党の一揆(政府側では暴動と呼ぶ)の決起集会が行われました。
神殿のまわりには銀杏の木・・・ギンナンの実が落ちています。
無患子(ムクロジ)・・・患わない子・・・子どもの無病息災を祈る・・・遠くに城峯山(1037m)が見える。
境内に秩父事件を象徴化した・・・狼煙を持った農民・・・のブロンズ像。
斧や鍬を振るう農民が「圧制を変じて良政に改める」という思いを叫んだようすがひしひしと伝わってきます。
椋神社の本殿・・・今から130年前の1884年11月1日、ここ椋神社の境内で秩父困民党の一揆(政府側では暴動と呼ぶ)の決起集会が行われました。
神殿のまわりには銀杏の木・・・ギンナンの実が落ちています。
無患子(ムクロジ)・・・患わない子・・・子どもの無病息災を祈る・・・遠くに城峯山(1037m)が見える。
境内に秩父事件を象徴化した・・・狼煙を持った農民・・・のブロンズ像。
斧や鍬を振るう農民が「圧制を変じて良政に改める」という思いを叫んだようすがひしひしと伝わってきます。
さて、椋神社の「オオカミ様」です。神社というと狛犬ですが奥多摩御嶽神社、秩父三峰神社をはじめとしてオオカミが多いようです。
神の眷属「狼」…秩父には狛犬ではなく狼を神犬とする神社が10数社あるそうです。
日本狼…1905年奈良県の山奥で見た以来、姿を消したそうです。原因は定かではありませんがコレラ、ジステンパー、狂犬病などいろいろいわれているようです。
秩父山岳地帯に古くから伝わる狼信仰、狼は家畜も襲ったでしょうが猪、鹿などの数を調整する益獣でした。薀蓄を追っていくと長々となるので省略。
130年前の1884年11月1日、ここ椋神社の境内で、明治維新に入って17年目、江戸時代の農民一揆(強訴)をそのままのような秩父困民党による強訴・打ち壊しの決起集会が行われました。詳細は拙ブログの「秩父事件」「椋神社」などを見ていただけたらと思いますが、ここでは経緯だけを下記に記しました。
10月31日 風布村で農民蜂起、130人
11月1日 下吉田村椋神社で決起集会、3000人
11月2日 大宮郷(現秩父市街)郡役所に本部、10000人
11月4日 金屋村の衝突、800人、12人死亡
11月5日 粥新田峠の衝突、100人
11月9日 信州東馬流(現小海町)300人、野辺山原200人の衝突で終了 14人死亡
勇ましくも悲しい物語です。
『検索、秩父事件・このブログ内』にて一通りざっと見直して書いています。
このような記事に見入りますと、自分自身が椋神社境内身を置かれているような感じに捉われ、あるいは小鹿坂峠、音楽寺、井上伝蔵などなどあちこちが走馬灯のように蘇ります。
今ではこうして記念碑、語り継がれ、足跡を訪ねてなど、何のこだわりもなく見聞する事が出来ます。
まだ私らが小学校のころは事件にかかわった家は、暴徒・暴徒と呼ばれ、後ろ指を差されたことはもちろん、子供さんも白眼視されたものです。
実家のすぐ近くにもT家、川を挟んで井上伝蔵宅、その隠れ家であった、関の土蔵(夏に尋ねました)などなど跡形もありません。
歴史は、月日と共に消え去られていきます。
次へ続く
秩父地方は、仰るとおり狛犬の代わりに、狼が鎮座ましましている。
狼が絶滅したことにより、鹿の食害が多発、自然のサイクルはうまく廻っていたものです。
ムクロンジ、ギンナン、を椋神社での画像を見ますと、秋が来たのだと心深く思いをめぐらせた。
銀杏沢山拾いましたか?
蜂屋柿買い求めましたか?
* 古里の 味がしみいる 干した柿
* 方言を 爺婆仕切る 道の駅
この日は城峰山の電波塔がかっきり見えていました。
ここの銀案は枝伐採でしばらく身がなりませんでしたが、今年は実を生らせました。豆粒ようなギンナンです。少しいただきました。
ここの前からの道を阿熊に向かいます。
いまも昔も政治は国民のほうを向かないと、とんでもないことになります。秩父暴動を秩父事件と定義づけた吉田を中心とする秩父事件検証野の会の人たちの努力に敬服します。