信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月27日の「上高地開山祭」の1日後の4月28日の上高地です。
釜トンネルを抜けてすぐ、大正池バス停から遊歩道を抜けると大正池に出ます。
正面の鞍部に中尾峠、左に焼岳。
焼岳です。
朝の大正池・・・静かです。
★かつては2000本以上あったといわれる湖面の立枯木(上高地のシンボル景観)・・・100年余経ったいまはほとんど見られません。
左から・・・西穂高岳の独標、西穂高岳、天狗のコル、ジャンダルム、奥穂高岳・・・
峰々に陽が射しはじめてきました・・・ジャンダルム、奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳、明神岳・・・正面の渓谷は岳沢カール。
★焼岳(2455m)・・・2300年前の噴火により現在のドーム型になった鐘状火山(トロイデ)、現在も活火山。最近の火山活動は1962年、泥流が大正池まで流れた。
★中尾峠(2080m)・・・焼岳の北側、西穂高岳に続く稜線上の鞍部、この峠を越えると新穂高温泉郷中尾温泉に。中世から近世にかけて松本から島々、徳本峠、上高地から高山への飛騨街道、神岡を経て富山に通じる越中東街道の峠、流通の要衝でした。近代に入り1927年釜トンネルの開通により完全にその役目は終えます。
★焼嶽が焼岳に変わった理由・・・あの戦争前までは「嶽」と「岳」の区別は、火山系の山を「嶽」、褶曲山系・断層産経の山を「岳」と表記するのが一般的だったようです。大戦後の1950年代に文部省と国土地理院の協議機関である地名表記委員会で「嶽」の字の山も「岳」に統一することにしました。ということで「焼嶽」は「焼岳」に。例外に「木曾の御嶽山」があります(御嶽信仰の聖地の山であり固有名詞であると認められた)。。
★中尾峠(2080m)・・・焼岳の北側、西穂高岳に続く稜線上の鞍部、この峠を越えると新穂高温泉郷中尾温泉に。中世から近世にかけて松本から島々、徳本峠、上高地から高山への飛騨街道、神岡を経て富山に通じる越中東街道の峠、流通の要衝でした。近代に入り1927年釜トンネルの開通により完全にその役目は終えます。
★焼嶽が焼岳に変わった理由・・・あの戦争前までは「嶽」と「岳」の区別は、火山系の山を「嶽」、褶曲山系・断層産経の山を「岳」と表記するのが一般的だったようです。大戦後の1950年代に文部省と国土地理院の協議機関である地名表記委員会で「嶽」の字の山も「岳」に統一することにしました。ということで「焼嶽」は「焼岳」に。例外に「木曾の御嶽山」があります(御嶽信仰の聖地の山であり固有名詞であると認められた)。。
焼岳です。
朝の大正池・・・静かです。
★かつては2000本以上あったといわれる湖面の立枯木(上高地のシンボル景観)・・・100年余経ったいまはほとんど見られません。
左から・・・西穂高岳の独標、西穂高岳、天狗のコル、ジャンダルム、奥穂高岳・・・
峰々に陽が射しはじめてきました・・・ジャンダルム、奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳、明神岳・・・正面の渓谷は岳沢カール。
※撮影日は4月28日。
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