彩風人・・・2015年12月、近江から若狭・丹後への紀行文です。
旅の始まりは新幹線米原駅からJR東海道本線琵琶湖線で彦根・・・そして越前若狭へ・・・でした。
「海の京都・丹後、宮津、伊根から兵庫県の香美町、余部(あまるべ)にやって来ました。
1981~1984年、NHKドラマ「人間模様」3部作シリーズ「夢千代日記」(早坂暁作・脚本、吉永小百合主演)。主人公の夢千代は山陰の小さな温泉(湯村温泉)で置屋を営む芸者、広島原爆の胎内被爆者、神戸の病院に原爆症の治療に行き、その帰りの列車が余部鉄橋にさしかかるところからこの物語が始まります。印象的で今でも覚えています。
(写真はWikipediaより)
1912年竣工の旧国鉄山陰本線「余部橋梁」、この橋の架橋をもって山陰本線は全通しました。トレッスル鉄橋(架台を設けてその上に橋桁を乗せる)、高さ41.45m、長さ310.59m、当時は日本一の高さ、長さの橋梁。当時の余部には駅が無く人々は鉄橋の枕木の上を歩き、トンネルを抜けて鎧駅まで歩いていたそうで、悲願の招致運動が実り駅が建設されのは1959年。余部橋梁は1210年新橋梁(プレストレスト・コンクリート製のエクストラドーズド形式)に。
旅の始まりは新幹線米原駅からJR東海道本線琵琶湖線で彦根・・・そして越前若狭へ・・・でした。
「海の京都・丹後、宮津、伊根から兵庫県の香美町、余部(あまるべ)にやって来ました。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
余部鉄橋です。(比企の丘からブログのギャラリー開放です)

(写真はWikipediaより)
1912年竣工の旧国鉄山陰本線「余部橋梁」、この橋の架橋をもって山陰本線は全通しました。トレッスル鉄橋(架台を設けてその上に橋桁を乗せる)、高さ41.45m、長さ310.59m、当時は日本一の高さ、長さの橋梁。当時の余部には駅が無く人々は鉄橋の枕木の上を歩き、トンネルを抜けて鎧駅まで歩いていたそうで、悲願の招致運動が実り駅が建設されのは1959年。余部橋梁は1210年新橋梁(プレストレスト・コンクリート製のエクストラドーズド形式)に。
コンクリート製の新余部橋梁、手前の鉄骨はモニュメント(空の駅)として残した旧余部橋梁の橋脚の一部、、

2010年、新装なったJR西日本山陰本線・・・新餘部駅・・・旧余部鉄橋の鉄骨で作られたベンチがあります。
駅名の「餘部」はJR姫新線に「余部駅」(よべえき)があるため、旧字を表記したようです。

新しい余部鉄橋、新しい餘部駅のホームに沿って、旧余部鉄橋の橋脚3スパーンを残して展望台「空の駅」を2013年オープン。
展望台へのアプローチ、軌道跡60mを歩いて。

橋詰部14m、展望部68m、高さ40m。の展望台。

展望台から眺めた余部の海。


2010年、新装なったJR西日本山陰本線・・・新餘部駅・・・旧余部鉄橋の鉄骨で作られたベンチがあります。
駅名の「餘部」はJR姫新線に「余部駅」(よべえき)があるため、旧字を表記したようです。

新しい余部鉄橋、新しい餘部駅のホームに沿って、旧余部鉄橋の橋脚3スパーンを残して展望台「空の駅」を2013年オープン。
展望台へのアプローチ、軌道跡60mを歩いて。

橋詰部14m、展望部68m、高さ40m。の展望台。

展望台から眺めた余部の海。

※撮影日は2015年12月16日。カメラはFUJIFIRM X-T10。
鈍色の冬の日本海、たれこめる低い雲・・・夢千代さんの哀しい宿命を投影するような風景に重なります。
餘部鉄橋は事故も有ったりして・・・
未知の土地
未見の風景なのですが
あの冬の日本海を下に見る鉄橋と
夢千代さんの生き様は 重なってしまうのです。
架空の人物でありながら
夢千代さんの姿 探してしまいそうになる景色ですね。