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今日は何の日・・・5月15日・・・沖縄本土復帰の日・・・50周年になります。
★1945年8月15日、あの大戦で日本がアメリカに負けて、アメリカ軍の占領下になり、なぜか沖縄県、奄美諸島だけがアメリカ軍の行政下部組織になり、その7年後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約により日本はアメリカの占領下から回復されましたが、沖縄は琉球政府と名を変えて実質はアメリカ軍の統治下のまま(奄美諸島は1953年返還、鹿児島県に)。サンフランシスコ講和条約から20年後の1972年5月15日、沖縄はアメリカからようやく日本政府に返還されます。日本政府はこの日を「沖縄の返還」とだけ記しています。国家的記念日ではありません。
この日から沖縄は・・・琉球政府が沖縄県に、琉球政府主席が沖縄県知事に、ドル経済から円経済に(1$=305円)、自動車が右側通行から左側通行に、本土への移動にパスポートが不要に、本土との物流が貿易ではなくなり・・・といろいろなことが変わりました。
そして・・・沖縄はいまどんなに変わったでしょうか・・・
ここに一つの歌があります・・・2002年沖縄の本土復帰30周年を記念して、
沖縄石垣島出身のアコースティックバンドBEGINが2002年5月に発表した曲です。
島人ぬ宝(しまんちゅうのたから)
詞・曲 BEGIN
僕がうまれたこの島の海を
僕はどれくらい知ってるんだろう
汚れてくサンゴも 減って行く魚も
どうしたらいいのかわからない
でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて
少しずつ変わってゆくこの海を
テレビでは映せないラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝
変わってゆく沖縄・・・変わらない沖縄・・・
庭先に基地のある沖縄、基地の中に先祖様のお墓、御嶽のある沖縄、
小学校の教室にジェット機が突っ込んだり大学のキャンパスにヘリコプターが墜落する沖縄、
アメリカ軍人、軍属が基地の外で犯罪を犯しても裁けない沖縄、
地位協定の壁・・・
基地で経済が成り立ってきた沖縄・・・少しずつ変わってきていますが・・・
ウチナンチュウ(沖縄の人)とナイチャー(本土の人)との温度差・・・
・・・どうしたらいいのかわからない
なんくるなるさ~・・・
今日は何の日・・・5月15日・・・沖縄本土復帰の日・・・50周年になります。
★1945年8月15日、あの大戦で日本がアメリカに負けて、アメリカ軍の占領下になり、なぜか沖縄県、奄美諸島だけがアメリカ軍の行政下部組織になり、その7年後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約により日本はアメリカの占領下から回復されましたが、沖縄は琉球政府と名を変えて実質はアメリカ軍の統治下のまま(奄美諸島は1953年返還、鹿児島県に)。サンフランシスコ講和条約から20年後の1972年5月15日、沖縄はアメリカからようやく日本政府に返還されます。日本政府はこの日を「沖縄の返還」とだけ記しています。国家的記念日ではありません。
この日から沖縄は・・・琉球政府が沖縄県に、琉球政府主席が沖縄県知事に、ドル経済から円経済に(1$=305円)、自動車が右側通行から左側通行に、本土への移動にパスポートが不要に、本土との物流が貿易ではなくなり・・・といろいろなことが変わりました。
そして・・・沖縄はいまどんなに変わったでしょうか・・・
ここに一つの歌があります・・・2002年沖縄の本土復帰30周年を記念して、
沖縄石垣島出身のアコースティックバンドBEGINが2002年5月に発表した曲です。
島人ぬ宝(しまんちゅうのたから)
詞・曲 BEGIN
僕がうまれたこの島の海を
僕はどれくらい知ってるんだろう
汚れてくサンゴも 減って行く魚も
どうしたらいいのかわからない
でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて
少しずつ変わってゆくこの海を
テレビでは映せないラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝
変わってゆく沖縄・・・変わらない沖縄・・・
庭先に基地のある沖縄、基地の中に先祖様のお墓、御嶽のある沖縄、
小学校の教室にジェット機が突っ込んだり大学のキャンパスにヘリコプターが墜落する沖縄、
アメリカ軍人、軍属が基地の外で犯罪を犯しても裁けない沖縄、
地位協定の壁・・・
基地で経済が成り立ってきた沖縄・・・少しずつ変わってきていますが・・・
ウチナンチュウ(沖縄の人)とナイチャー(本土の人)との温度差・・・
・・・どうしたらいいのかわからない
なんくるなるさ~・・・
★BIGIN「島人ぬの宝」のYouTube➡クリック 島人ぬ宝
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お伽の島のように見えました・・・
77年前の4月16日の出来事が・・・
沖縄がむかしのままの自然のままの美しい島に戻ってほしいと祈っています。
ほとんどが基地経済、基地労働者、基地地主、米軍消費、ベトナム戦争中であり、戦争に向かう兵士がドルをポケットに夜の酒場で大散財。ステーキが1$。
本土復帰は希望を持ったのですが、1$=360円が変動相場制になって305円に、財産が2割弱減ったと嘆き節でした。
基地返還・・・沖縄の人にとって左右に関係なく当たり前の主張です。
横井庄一さんのその後、最近テレビで特集が、日本軍が戦中、過酷な殺戮をしていたようです。やらなければやられるという戦中心理からでしょうか。それが戦後に逆になり、逃亡生活に、奥さんにも話さなかったようです。
コメントありがとうございました。
テレビでのインタビューで沖縄の人は半分あきらめたような・・・。
「同盟」といいますが「隷属」ですが…誰も口に出して言いません。
「国を守る」という言葉が安易に使われていますが「国は敗れた」ままです。
多くの方が、沖縄の本土復帰50年に心を寄せて下さり感謝です。
沖縄が本土復帰しての仕事は、満期または解約した場合に、戦前戦後のインフレ率を考慮し、さらに戦後の物価上昇も配慮して、その率を求めました。
この年に、横井庄一氏が「恥ずかしながら」と日本に帰国しました。
そうでした、札幌オリンピックの開催された年でした。^^
沖縄県民に申し訳ない気持ちでいっぱいです。