☆「公害・被ばく」だけ見たいかたは・・・クリック
5月24日(日曜日)、甲府市に・・・市民100人がつくるミュージカル「鯨波の声(ときのこえ)」・・・を見に行ってきました。
いまから61年前の1954年3月、南太平洋マーシャル群島ビキニ環礁で行われた米軍の水爆実験・・・その近海の公海上で操業中の日本のマグロ漁船団、その中の一隻「第五福竜丸」・・・23人を乗せた小さな木造船に放射能を含んだ珊瑚の小さな粒が降り注ぎました。異常を感じた第五福竜丸は無線を発することなく母港焼津港へ。大量に放射能を浴びた船員たち。そして無線長の久保山愛吉さんは6ヶ月後の9月「原水爆の被害は私を最後にしてほしい」という言葉を残して死去、享年39歳。
ミュージカルのテーマは「第五福竜丸」の被曝。
ミュージカルのプロローグは東京都内の中学生たちと第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんの出逢いからはじまります。
ミュージカルのプロローグは東京都内の中学生たちと第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんの出逢いからはじまります。
写真上段の左右、下段の左は2012年1月放映の日本テレビ・ドキュメント「放射能を浴びたX年後」より、下段右は2011年8月東京都夢の島で撮影したもの。このとき、放射能を浴びたマグロ漁船は992隻、放射能は太平洋の気流に乗って、日本、アメリカ大陸まで飛散していることが観測されています。
←の写真は埼玉県東松山市の「丸木原爆美術館」の大作「焼津」が展示されいる部屋にある第五福竜丸の模型です(2011年8月6日撮影)。
当事の乗組員で大石又七さんという方が1983年、東京都町田市の私立和光中学校の生徒に事件について取材され、30年の沈黙を破ってはじめて事件のことについて口を開きました。これを機に大石さんは第五福竜丸の模型船作りをはじめ、一号船を和光中学に、つづけて夢の島展示館、広島平和記念館、長崎平和記念館などに寄贈。これ以降、積極的に被爆体験を語り、核廃絶を訴える著作、活動をはじめます。
この模型船は、それから20年後の2003年そのことを知った和光中学の生徒たちが模型船作りをはじめ、大石さんの指導の下に3年の歳月をかけて完成、「平和への願い」をこめて2007年、丸木美術館に寄贈したものです。
※大石又七さん・・・1934年生まれ、第五福竜丸の漁船員、被曝のときは20歳。久保山さんらと入院生活を送り、その後、被爆者への無理解、偏見に耐えられず1955年漁師をやめて東京でクリーニング屋に。被曝について語るようになったのは30年後。2010年クリーニング店廃業。
ミュージカルは大石さんを軸に展開していきます。
カーテンコールです。
市民100人が出演した舞台と・・・キャパ(収容能力)2689人の客席を埋め尽くした市民とが一体となります。
コラニー文化ホール(山梨県民文化ホール)・・・
コラニーは協賛冠名・・・甲府市にある貴金属加工・販売会社。
コラニーとはコロナとかコラールとか環状のもの・・・指輪?・・・の意味か?
富士山と山梨県立美術館と山梨県民文化ホールは山梨県人の誇りです。
大石又七さんです。
ビキニ環礁の水爆実験から57年後の2011年3月。
福島第一原発メルトダウン・・・水素爆発。
市民100人が出演した舞台と・・・キャパ(収容能力)2689人の客席を埋め尽くした市民とが一体となります。
コラニー文化ホール(山梨県民文化ホール)・・・
コラニーは協賛冠名・・・甲府市にある貴金属加工・販売会社。
コラニーとはコロナとかコラールとか環状のもの・・・指輪?・・・の意味か?
富士山と山梨県立美術館と山梨県民文化ホールは山梨県人の誇りです。
大石又七さんです。
ビキニ環礁の水爆実験から57年後の2011年3月。
福島第一原発メルトダウン・・・水素爆発。
1945年広島・長崎の原爆。
1954年マーシャル群島ビキニ環礁水爆実験。
広島・長崎に原爆が落とされから9年後です。
第五福竜丸事故。第五福竜丸に代表されますが約1000隻の漁船と漁師たち、マグロも被曝しています。
同じ1954年「原子力研究開発予算に関する法案」が中曽根康弘氏らによって国会に提案され、1955年この法案は成立、正力松太郎氏が初代原子力委員長になって日本の原子力平和利用の動きが始まります。
1963年東海村原発で初発電。
1973年スリーマイル島事故。
1986年チェルノブイリ事故。
1999年東海村原発臨界事故。
2011年福島原発事故。
1945年の広島、長崎の原爆、いまも原爆症の認定問題があります。。
1954年ビキニ環礁水爆実験の被爆者・・・992隻の船に乗っていた数万人の漁船員には被曝手帳も交付されていません。
60年経って帰島の叶わないマーシャル群島ビキニ環礁の人たち。
、
人間が最後までコントロールできない核とは共存できない。
※このミュージカルにお誘いしていただいた「こきおばさん」、一緒に観劇してくださった「山梨平和ミュージアム」のホットケーキ様、インドのコルカタの「マザー・テレサの家」で貧しい重度の障害児らと暮す渋谷りつ子さん・・・いろいろ教えていただきました。あらためてお礼申し上げます。
そしてこの記事をお書き頂き、感謝しております。
いつも「語り継ぐ」ことを心がけておられる姿勢は、学ばなくてはいけないと肝に銘じております。
早速「鯨波の声」のブログにリンクさせていただきます。
核問題を動かしがたい事実の物語りで、かたりかける、そのことが核廃絶の声になっていけば。
100人い市民参加の共同作業、2600人の客席を満員にして、最後は客席と一体になった見事なフィナーレでした。
6月23日は沖縄戦争終結の日です。島民を巻き込んだ壮烈な地上戦でした。そんなことをまた伝えたいです。