・・・彩風人の写真帳・・・
いまから11年前の3月11日は東日本大震災の日。
2021年師走の三陸海岸の旅です。
岩手県陸前高田市・・・岩手県県沿岸地方最南端の中核都市。
3.11大震災、津波の高さ17.6m。
死者1555人、行方不明者223人、2011年の人口約23000人、2022年2月17800人。8000戸以上あった住宅のうち3000戸以上の住宅が全壊(約40%)。
市街地の南側の高台、愛宕下の龍泉寺あたり(海抜30.8m)から気仙川の北側を俯瞰しています。
気仙川の手前正面に気仙中学校が。津波は三階建て校舎の屋上を越えました。教職員、生徒は高台に避難して無事。震災遺構に。気仙川の向こう、正面に広田湾、気仙川の水門、新しく造成した防潮堤、このあたり名勝「70000本の高田松原」があったところです。防潮堤の前に全壊したユースホステルと「奇跡の一本松」が見えます。
津波によって壊滅した「70000本の松原」からタッタ一本生残った「奇跡の一本松」・・やがて枯れ死。樹高27.7m、幹回り87㎝、樹齢173年(推定)。樹種はアイクロマツ(アカマツとクロマツの自然交雑種)。陸前高田の津波の歴史を伝える象徴モニュメントとして残すことに。金属芯を入れ、幹は防腐、防水処理、枝葉は人工のものを施したものです。この問題については賛否両論、議論されましたが割愛します。
後方の防潮堤・・・震災前は高さ5.5m、新防潮堤は高さ12m、とうぜん2011の津波17.8mに及ばないが・・・
「高田松原」の中に建っていたユースホステル・・・2011年1月より休館していたため人的被害は免れました。震災遺構に。
「70000本の高田松原」・・・復元を目指して苗木培養中。
愛宕下よりやや西にある諏訪神社(海抜27m)・・・避難指定場所、石段に津波の押し寄せた位置が。
※撮影日は2021年12月30日。
「TUNAMI」は世界語になっています。三陸海岸の津波の歴史は枚挙に暇がありません。近代に入っての大きな津波の歴史。
1896年明治三陸地震、M7.6、津波の高さ最大38m。
1933年昭和三陸地震、M8.3、津波の高さ最大28m。
1960年チリ地震。津波の高さ最大6.3m。
2011年東日本大震災、M9.1、津波の高さ最大21.3m。
1933年昭和三陸地震、M8.3、津波の高さ最大28m。
1960年チリ地震。津波の高さ最大6.3m。
2011年東日本大震災、M9.1、津波の高さ最大21.3m。
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▲ 奇跡松 津波の中を 生き抜いて
多くの人に 勇気と希望 (縄)
平成24年5月に枯死が確認されました。しかし、震災直後から、市民のみならず全世界
の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいく
ことでしょう。
▲ 頑張った よく頑張った 有難う
松の意思をば シカト受け継ぐ (縄)
、
いつまでもシンボルとして津波伝説を伝えてほしい。
・伝えてよ 津波伝説 一本松