比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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湯川れい子さんのお話を聞きました

2008-07-21 | 語り継ぐ責任 あの戦争
日曜日は音楽評論家・湯川れい子さんのお話を聞きました。某町の某グループの企画した講演会です。

エルビス・プレスビー、ビートルズを日本に広めた人です。
ランナウェイ」「恋におちて・・・Fall in Love」など作詞家としても有名です。

たいへんな美人です(美人の条件は心が美しいこと・・・と勝手に私がきめました)。年齢は不詳(お話を聞くとだんだんわかってきます)。

この人が講演会を引受ける条件は「ギャラが高いこと」「温泉に泊まらせてくれること」「美味しい食べ物があること」「来てくれる人が多いこと」だそうです。
ザンネンながらこの村は1つも条件を満たせないようです。


お話は淡々と進みます。まず自分の育った環境。東京生まれのお嬢さん。姉のピアノにあわせて母とダンスをする海軍大佐の父、モダンでプチブルジョアの家庭です。戦争をさかいに家族の生活がガラッと変わります。父は風邪ををこじらせて急逝、次兄は海軍兵学校へ、特攻隊で戦死、長兄は大学卒業と同時に赤紙徴兵、フィリピンで戦死。出征前に口笛を吹きながら防空壕を作っていってくれました。母と山形の米沢へ疎開、やがて敗戦、東京へ。終戦後の娯楽も音楽もない時代、ラジオから流れるFEN(極東放送)のメロディ、グレンミラー、ベニーグッドマンの音楽を夢中になって聴いてるとき兄のあのときの口笛の曲に遇います。
ハリージェームス(トランペットの名手)の「Sleepy Lagoon(午後の入り江)」。

湯川さんはこのとき兄の分まで生きようと思ったのでしょうか。兄の残していった口笛の曲が原点になったのでしょう。そのごの音楽界の活躍はご存知のとおりです。

幼かったが戦争の時代を知っている。高級軍人の家庭に育ち2人の兄を戦争で失う。物乞いの傷痍軍人があふれた戦後の東京の混乱期を知っている。
この体験が「戦争とは」「平和とは」ということを具体的にとらえています。

話は続きますが、省略します。

平和憲法」を守る。なぜ守らなければならないか。なぜ「平和憲法」を改憲する動きがあるかということを語ってくれました。もちろん湯川さんの考えです。
この問題は一人一人がよく考えていく問題です。

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