比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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草原の国モンゴル紀行⑤・・・モンゴル帝国・・・栄枯のあと・・・カラコルム・・・エルデ二・ゾー

2018-10-25 | 道をゆく 台湾・中国・モンゴル
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

モンゴルの旅のはじめは首都ウランバートルから西へ360㎞(長距離バスで6~7時間)、モンゴル帝国の王宮のあった「カラコルム」へ・・・
13世紀から14世紀。ユーラシア大陸のほとんどを版図に収めたモンゴル帝国の都・・・栄枯盛衰・・・廃墟となって・・・
16世紀チベット仏教の聖地に、モンゴル人民共和国の時代にふたたび廃墟に・・・いま聖地となって甦る・・・
2004年ユネスコ世界遺産「オルホン川渓谷文化的景観」登録。

百八のストーバ(卒塔婆)と400m四方の外壁の囲まれたエルデ二・ゾー(宝の寺)。


エルデニ・ゾー・・・モンゴル帝國は1271年五代フビライ・ハーンのときに大都(北京)に都を遷し元王朝に。そのご元朝は内部から崩壊、1368年明朝が成立、元王朝は滅び、ふたたびカラコルムに北帰行、分裂を繰り返し弱体化、王宮も廃墟に。1487年ダヤン・ハーンがモンゴル諸民族を統一して中興、1586年アバダイ・ハーンが廃墟になった王宮を解体、王宮の廃材を使ってチベット仏教(モンゴル仏教)の寺院エルデニ・ゾーを建立。20世紀はじめソ連邦の傘下となったモンゴル人民共和国の時代、モンゴル仏教排斥のため破壊され廃墟に、20世紀終りに民主化したモンゴル国の誕生でふたたび整備されラマモンゴル仏教の聖地に。

西門から中に入ります。

ゴルバン・ゾー・・・東寺、中央寺、西寺の3つの寺の総称・・・中国建築様式です。

ソボルガン塔・・・チベット建築様式の仏舎利塔です。

ダライ・ラマ・ゾー・・・


東門から外に出ると・・・亀趺(きふ)・・・かつてのカラコルム王宮の遺構・・・碑文の台座だったという亀石が3基見られます。
※撮影日は2017年7月7日。
モンゴル帝国の栄華と衰退の夢のあとです。

カラコルム・・・1235年チンギス・ハーンの3男で、クリルハイ(部族集会)でモンゴル帝国二代ハーンに指名されたオゴデイ―モンゴル帝国の首都として築いた王宮の街。東西1500m、南北2500mの城壁に囲まれていたといいます。古いモンゴル語、チュルク語で「カラ」は「黒い」を意味するが、「コルム」の意味は不詳・・・「山、川、砂礫」などと推定。
モンゴルがユーラシア大陸に版図を広げたのはオゴディ―・ハーンの時代、カラコルムはモンゴル帝国の中心、すべての富が集まったといわれます。
いまはわずかな城壁の跡と亀趺(きふ)が遺構として残るのみ。現代モンゴル語でハラホリンと呼ばれる人口20000人余の町がかつての城外にあります。

モンゴル帝国は・・・やがて4つの独立帝国に分かれていきます。
元王朝・・・チンギス・ハーンの4男トルイの子フビライが中国の金、南宋を亡ぼして中国に1271年建国。1368年明国に滅ぼされモンゴルに撤退。
キップチャック・ハン国・・・・チンギス・ハーンの長男ジョチの子バトウがロシアから13世紀に東欧に建国。18世紀初めロシア帝国の誕生まで続いた。
チャガタイ・ハン国・・・チンギス・ハーンの次男チャガタイが13世紀に中央アジアに築いた王国、チムール王朝、ムガール王朝に続く。
イル・ハン国・・・チンギス・ハーンの4男トルイの子フレグが13世紀から14世紀にイラン高原を中心に西アジアに築いた王国。

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